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      "name": "一神教（アブラハム系）",
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        "アブラハムの宗教",
        "セム系一神教"
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      "category": "宗教",
      "era_display": "前13世紀〜前6世紀（唯一神信仰の成立期。諸説あり）",
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      "diffusion": "レヴァント地域の一神教的信仰が、離散したユダヤ教共同体、ローマ帝国下でのキリスト教の制度化、7世紀以降のイスラームの拡大という経路で西アジア・北アフリカ・ヨーロッパへ広がった。近世以降は交易・植民地化・宣教により南北アメリカ、サハラ以南アフリカ、東アジアにも到達した。",
      "adherents_scale": "10億超",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年代〜2020年代推計でキリスト教約24億人、イスラーム約19億人、ユダヤ教約1,500万人。合算は概数。唯一神信仰の成立時期については捕囚期成立説と早期成立説があり、発生年代の確度は低い。",
      "modern_impact": "世界人口の半数以上が三系統のいずれかに帰属し、暦・祝祭・法・生命倫理の議論枠組みに影響を残している。世俗国家における政教関係の制度設計も、この伝統との歴史的交渉の産物として論じられることが多い。",
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      "diffusion": "アショーカ王期（前3世紀）の支援を契機に亜大陸外へ広がり、スリランカ・東南アジアへは上座部系、中央アジアの隊商路を経て中国・朝鮮・日本へは大乗系、7世紀以降チベット・モンゴルへは密教系が伝わった。近代以降は移民と翻訳を通じて欧米にも定着した。",
      "adherents_scale": "1億〜10億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2020年前後の推計で約5億人。中核テキストのパーリ三蔵・漢訳大蔵経は本表のTXTに未収録。東アジアでは複数の宗教実践が重層するため帰属人口の推計には幅がある。",
      "modern_impact": "東アジア・東南アジアの儀礼、死生観、美術に持続的な影響を残す。20世紀以降は瞑想実践が医療・心理療法の文脈で世俗的に再解釈され、国際的に普及した。",
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      "diffusion": "戦国期の諸子百家の論争を経て漢代に国家の統治理念として制度化され、科挙制を通じて官僚層に再生産された。漢字文化圏の交流により朝鮮半島・ベトナム・日本へ伝わり、各地の在来の統治制度や宗教実践と結合した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "自己申告による信者統計が成立しにくく、規範・儀礼・学問としての実践が他の宗教実践と重層するため規模の推計は困難。中核概念のうち「階級」は身分秩序・礼的序列への近似であり、対応は暫定的。",
      "modern_impact": "家族倫理、教育重視、官僚制の正統性観念として東アジアの社会規範に残る。近代以降は経済発展の文化的要因をめぐる議論や、東アジアの政治文化論の参照枠としても扱われている。",
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      "diffusion": "イレ・イフェを中心とする神聖王権と、イファ占術・口承詩の伝承体系を通じてヨルバ語圏に定着した。大西洋奴隷貿易により南北アメリカへ運ばれ、キューバのサンテリア（ルクミ）、ブラジルのカンドンブレなどに再編され、20世紀以降は北米・欧州のディアスポラ実践としても継続している。",
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      "adherents_note": "ナイジェリア国内の在来宗教人口とディアスポラ実践者の推計は調査ごとに大きく異なり、キリスト教・イスラームとの併行実践も多いため単一の出典を示しがたい。中核概念は運命観（オリ）、神聖王権、儀礼による回復を既存CONへ近似したもので、対応は弱い。 ／年代は口承起源のため不詳と明記し、ソート値は繁栄期(11世紀)を採用。旗艦記事の調査を反映し確度をC→Bに改訂(2026-08-17)",
      "modern_impact": "ナイジェリア南西部の儀礼・芸能に加え、カリブ海・ブラジルの宗教文化、現代美術・音楽・文学の主題として参照される。イファ占術体系は2005年にユネスコの無形文化遺産に登録された。",
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      "diffusion": "メソポタミアの穀物単位と秤量銀による計算貨幣に始まり、前7世紀リディアの鋳造貨幣、宋代の紙幣、近世ヨーロッパの銀行貨幣と信用制度を経て制度化された。植民地交易と国際金本位制により事実上の世界標準となり、20世紀後半以降は不換紙幣と電子的決済へ移行した。",
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      "adherents_note": "利用者はほぼ全人類に及ぶが「信奉者」という単位が適用しにくく、単一の出典を示しがたい。起源の年代は「貨幣」の定義（計算単位か鋳貨か）により大きく変動する。",
      "modern_impact": "異なる価値を単一の尺度に換算する枠組みとして経済活動の前提を成し、中央銀行制度、国際通貨体制、デジタル通貨をめぐる政策論議の基盤となっている。",
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      "diffusion": "アッカド・アッシリアからアケメネス朝、秦漢、ローマへと統治技術と正統化の語彙が継承された。近世以降はヨーロッパ諸国の海外帝国として大西洋・アジアへ拡張し、20世紀の脱植民地化を経て主権国家体系に置き換えられた。",
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      "adherents_note": "歴史的形態が多様で、帰属人口という指標が適用しにくい。アッカドの年代（前2334年頃）は中期年代学に基づく概数であり、年代学上の異説がある。",
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      "diffusion": "学会、学術誌、書簡による学者共同体のネットワークを通じてヨーロッパ内で共有され、19世紀以降は大学制度、技術教育、広域的な調査事業を通じて各地へ移植された。日本では蘭学から明治期の学制へと接続した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "帰属という単位が適用しにくい。時期区分（1543年のコペルニクスから1687年のニュートンまで）を革命として一括する枠組み自体に、連続説からの有力な異説がある。中核概念のうち「天賦人権」は啓蒙思想を介した間接的な結びつきで、対応は弱い。",
      "modern_impact": "実験と数学的定式化に基づく知識生産の様式が、医療、工学、政策評価の標準となった。他方で専門知の権威と社会的受容をめぐる論争も継続している。",
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      "diffusion": "肥沃な三日月地帯、中国の黄河・長江流域、メソアメリカ、ニューギニア、アンデスなど複数の地域で独立に成立し、人口移動と技術伝播によってユーラシア各地へ拡大した。本表のREGに該当項目がないメソアメリカ・ニューギニアの起源は発生地域の参照から除いている。",
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      "diffusion": "『古事記』（712年）『日本書紀』（720年）の編纂により王権の由来譚が文字化され、中世の神道言説、近世の国学を経て再解釈された。幕末から明治期には教育制度、儀礼、祝祭日を通じて国民規模で共有された。",
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      "adherents_note": "信奉という単位での計測が困難で、単一の出典を示しがたい。中核概念の「階級」は氏姓制・身分秩序への近似であり、対応は暫定的。",
      "modern_impact": "日本国憲法下で象徴天皇制として法的位置づけが変化した後も、皇位継承儀礼や元号など公的制度の一部に歴史的連続性が残る。歴史学では記紀の成立事情と、神話的記述と考古学的知見の関係が主要な検討対象であり続けている。",
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      "category": "建国神話",
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      "diffusion": "1845年のジョン・L・オサリヴァンの論説で標語化され、新聞、議会演説、絵画などの媒体を通じて流通した。西部への領土拡張、メキシコとの戦争、19世紀末の海外進出を説明する語彙として用いられた。",
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      "adherents_note": "標語への支持を人口規模で計測した信頼できる同時代統計がない。中核概念の「天命」は日本語訳語としての対応であり、中国的な天命思想とは系譜が異なる。",
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      "diffusion": "西周の政治的正統化として提示され、諸子百家の議論と漢代の国家儒教化を経て、王朝交替を説明する枠組みとして定着した。冊封・朝貢の関係を通じて朝鮮、ベトナム、琉球などの周辺政体にも共有された。",
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      "adherents_note": "統治理念であり帰属人口という指標が適用しにくい。前1046年という年代は夏商周断代工程の推定値で、周初の年代には複数の学説がある。中核テキストは本来『書経』だが本表に未収録のため、天命を論じる『論語』を暫定的に参照した。",
      "modern_impact": "王朝の正統性を統治の実績と結びつける発想は、東アジアの政治文化を論じる分析枠組みとして参照される。歴史学では華夷秩序の実態と朝貢関係の多様性が検討されている。",
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      "name": "ナイジェリア国民統合の物語",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "1914年（南北保護領の統合）〜1960年（独立）",
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      "diffusion": "1914年の南北保護領統合と1960年の独立を経て、国旗・国歌・標語のほか、連邦性格原則や全国青年奉仕団（NYSC）などの制度を通じて共有された。1967〜1970年の内戦の後は、連邦制の再編と州の増設が統合の枠組みとして用いられた。",
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      "adherents_note": "統合理念への支持を人口規模で示す標準的な統計がない。物語としての定式化の起点をいつに置くかについては、植民地統合説と独立後形成説がある。",
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      "category": "国家思想",
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      "diffusion": "1870年代のケンブリッジ（マサチューセッツ）の討論から、パースとジェイムズにより定式化され、デューイのシカゴ学派を通じて教育学と社会科学に広がった。20世紀後半にはローティらによる再解釈（ネオ・プラグマティズム）として再流通した。",
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      "adherents_note": "学派への帰属を人口規模で計測する指標がない。中核概念は探究・可謬主義・経験といった中心語彙が本表のCONに存在しないため近似的な対応にとどまる。",
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      "era_year": 1781,
      "diffusion": "カントの批判哲学を起点に、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルへと大学と論争誌を通じて展開した。19世紀にはヘーゲル左派を介してマルクス主義へ、また英米の観念論、日本の京都学派へと翻訳・受容された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "哲学的立場であり帰属人口の統計が存在しない。中核テキスト（『純粋理性批判』『精神現象学』など）は本表のTXTに未収録。",
      "modern_impact": "自由、承認、歴史、国家といった概念が、政治哲学、法哲学、批判理論の語彙として現在も用いられている。",
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      "name": "ウブントゥ",
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      "category": "国家思想",
      "era_display": "口承起源のため年代不定／1990年代に政治・哲学理念として定式化",
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      "diffusion": "バントゥ語圏の口承的な人格観（人は他者を通じて人である）として共有され、20世紀後半に南部アフリカの神学者・法学者により哲学および政治理念として定式化された。1993年暫定憲法の後文や真実和解委員会の議論を通じて公共的な語彙となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理念への帰属を測る統計がない。発生地域は南部アフリカ（ズールー語・コサ語・ショナ語圏など）であり本表のREGに該当項目がないため、参照IDを付与していない。中核概念は共同体的人格観・和解を既存CONへ近似したもので対応は弱い。",
      "modern_impact": "修復的司法、共同体主義的倫理、経営・教育の実践論で参照される。他方、概念の内容と近代における再構築の程度をめぐって学術的な論争がある。",
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      "category": "国家思想",
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      "era_year": 1935,
      "diffusion": "1930年代のパリで学んだカリブ海・西アフリカ出身の学生たちの文芸誌を通じて形成され、セゼール、サンゴール、ダマスらの作品によって定式化された。『プレザンス・アフリケーヌ』誌や1956年の第1回黒人作家芸術家会議を通じてアフリカ・カリブ海へ還流した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "文学・思想運動であり帰属人口の統計が存在しない。",
      "modern_impact": "脱植民地期の文化政策と汎アフリカ主義に語彙を提供した。その本質主義的傾向への批判は、ポストコロニアル理論の出発点の一つとなった。",
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      "diffusion": "大西洋革命期の人民主権の主張と結びついて成立し、出版産業、国民教育、徴兵制、国勢調査といった制度を通じて大衆化した。19〜20世紀には帝国支配への対抗言説としてアジア・アフリカにも広がり、脱植民地化の枠組みとなった。",
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      "adherents_note": "帰属を測る国際的に標準化された統計がない。発生年代は近代主義的解釈（ゲルナー、アンダーソン、ホブズボーム）に依拠しており、前近代的起源を認めるエスノシンボリズムからの有力な異説がある。",
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      "name": "資本主義",
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      "category": "近代イデオロギー",
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      "era_year": 1600,
      "diffusion": "北イタリアと低地地方の商業・金融の慣行が、オランダとイギリスの株式会社と信用制度を経て制度化され、産業革命以降は工場生産と世界市場を通じて拡張した。20世紀後半の国際的な金融自由化により地球規模の分業体制となった。",
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      "adherents_note": "経済体制であり信奉者という単位での計測に適さない。起源をいつに置くかについては、商業説、産業説、農業資本主義説など複数の有力な学説がある。発生年_数値は、常設の資本市場と株式会社形態が制度として成立した時期（1602年のオランダ東インド会社とアムステルダム取引所に象徴される17世紀初頭）に置いた。旧版の1500年はブローデルの「長い16世紀」を起点とする見方に対応するが、本DBの関連リレーション（REL-0005 貨幣→資本主義、REL-0006、REL-0032 いずれも成立年1600）および NAR-0043 会社（1602年）との整合を欠いていたため改めた。",
      "modern_impact": "価格機構と資本蓄積を軸とする経済運営が広範な地域で採用され、成長、格差、環境負荷の評価をめぐる政策論争の対象となっている。",
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      "name": "民主主義",
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      "era_year": 1776,
      "diffusion": "本レコードは近代の代議制民主主義、すなわち人民主権を成文憲法・選挙・代表制によって制度化する統治の物語を指す（前6世紀末のアテナイの直接民主政は NAR-0105 アテナイの民主政 として分離した）。イングランドの内戦と名誉革命をめぐる論争、アメリカ独立、フランス革命の文書に定式化され、19〜20世紀の選挙権拡大、二度の大戦後の体制再建、脱植民地化を通じて統治形式の標準的な参照枠として世界に広がった。",
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      "adherents_note": "支持者を人口規模で示す単一の標準的統計がない（民主主義体制の国数の推計はV-Dem等が公表しているが、信奉者規模とは別指標）。発生年_数値は、人民主権を統治の正統性原理として明文化した建国文書である1776年のアメリカ独立宣言（TXT-0005）に置いた。1789年のフランス人権宣言を起点とする数え方、男子普通選挙の定着（19世紀後半〜20世紀初頭）を起点とする数え方もあり、代表年の選択には幅がある。旧版は前508年（アテナイ）を代表年としていたが、担い手・規模・制度のいずれも異なる古代の直接民主政と近代の代議制を1レコードに畳んでいたため、古代側を NAR-0105 として分離し、両者の関係はREL-0190（再発見・再解釈としての派生）で記録した。",
      "modern_impact": "選挙、議会、司法審査といった制度設計の標準的な参照枠であり、参加、代表性、権威主義化をめぐる比較政治学の議論の中心にある。",
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      "category": "近代イデオロギー",
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      "diffusion": "サン＝シモン、オーウェン、フーリエらの構想が労働運動と結合し、1848年の『共産党宣言』以降は国際労働者協会や各国の社会民主党を通じて組織化された。20世紀には革命政権、社会民主主義的福祉国家、脱植民地期の開発戦略という複数の形態に分岐した。",
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      "diffusion": "フロイトとユングの深層心理学、フレイザーの比較宗教学、ファン・ヘネップの通過儀礼論を統合した1949年の著作を通じて提示された。以後、比較神話学のほか、脚本術の実務書を介してハリウッドと映像・ゲーム産業に広く普及した。",
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      "adherents_note": "理論への支持を測る統計がない。中核概念は分離・通過儀礼・元型といった中心語彙が本表のCONに存在しないため、救済（再生と帰還）、ダルマ（使命）などへの近似にとどまり、対応は弱い。本レコードは1949年の著作による理論の成立と普及の経路を記述するものであり、単一神話という普遍性の主張の妥当性を支持するものではない。普遍性の主張には比較神話学・民俗学からの批判がある。",
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      "diffusion": "1979年のリオタール『ポストモダンの条件』と1984年の英訳を通じて人文社会科学に広がり、歴史学、建築、文学批評における正統化論の再検討として受容された。",
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      "adherents_note": "学術的立場であり帰属人口の統計が存在しない。中核概念は、リオタールが例示した大きな物語（精神の弁証法、解放、富の創出）を既存CONに対応させたもの。",
      "modern_impact": "知の正統化を単一の物語に求めない立場は、多元主義的な学術・文化の語彙となった。同時に、相対主義との関係や、この診断自体が一つの大きな物語ではないかという批判も継続している。",
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      "category": "物語論",
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      "era_year": 1992,
      "diffusion": "1992年の用語の初出を経て、2016年前後の選挙・国民投票をめぐる報道と、オックスフォード英語辞典による「今年の言葉」選定によって広く流通した。ソーシャルメディアのアルゴリズム的な情報配信が、拡散の条件として論じられている。",
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      "adherents_note": "現象への帰属という概念が成立しにくく、規模の推計に適した指標がない。中核概念は真理・信頼といった中心語彙が本表のCONに存在せず、対応は弱い。1992年の用例は辞書類が現在知られている最初期のものとして挙げるものであり、初出の確定ではない。概念の新規性（宣伝・世論操作の歴史との断絶の有無）と測定可能性については学説が分かれる。",
      "modern_impact": "情報の信頼性、プラットフォーム規制、メディアリテラシー教育をめぐる政策議論の枠組みとなっている。歴史学・政治学では、宣伝や世論操作の歴史との連続性の観点から検討が進んでいる。",
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      "category": "未来",
      "era_display": "1993年（命名）／1950年代以降（先行実践）",
      "era_year": 1993,
      "diffusion": "サン・ラーやジョージ・クリントンらの音楽実践、オクテイヴィア・バトラーやサミュエル・ディレイニーらの文学を先行事例として、1993年のマーク・デリーの論考で命名された。以後、美術、映画、音楽の国際的な展示と流通を通じて、アフリカ大陸やカリブ海の実践とも結びついた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "美学・批評の潮流であり帰属人口の統計が存在しない。中核概念はディアスポラ、技術、想像された未来といった中心語彙が本表のCONにないため近似的な対応にとどまる。",
      "modern_impact": "大衆文化における未来像の多様化に寄与し、技術と人種の関係を論じる批評理論の枠組みを提供している。展覧会、映画、音楽を通じて国際的な受容が続いている。",
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      "name": "ゾロアスター教",
      "name_en": "Zoroastrianism",
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "宗教",
      "era_display": "前1200年頃〜前1000年頃（ガーサーの言語年代による推定）／前7〜前6世紀とする伝承もあり諸説",
      "era_year": -1200,
      "diffusion": "アケメネス朝・パルティア・サーサーン朝の宮廷祭祀および統治の正統化の枠組みとして制度化され、イラン高原から中央アジア・メソポタミアへ広がった。7世紀のサーサーン朝崩壊後は信徒が漸減し、一部が10世紀前後にインド西部へ移住してパールシーの共同体を形成した。",
      "adherents_scale": "100万未満",
      "adherents_note": "各種推計で10万〜20万人程度（インドのパールシー、イラン国内、欧米のディアスポラの合計）。定義と調査手法により推計の幅が大きい。発生年代はガーサーの言語学的年代推定（ボイス、スケルヴォ）と、アレクサンドロス以前258年とする後代の伝承が大きく食い違い、年代の確度は特に低い。",
      "modern_impact": "善と悪の宇宙的対立、審判、死者の復活、救済者の到来といった主題は、後のユダヤ教・キリスト教・イスラームの終末論との比較研究で繰り返し論じられてきた。現在は少数の共同体として存続し、イラン・インドの文化史および宗教間の影響関係を検討する研究の対象となっている。",
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      "name": "ユダヤ教",
      "name_en": "Judaism",
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        "ヤハウェ信仰",
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        "ジュダイズム"
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      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "宗教",
      "era_display": "前13世紀頃（先行する伝承）／前6世紀（捕囚期の再編と成文化）",
      "era_year": -586,
      "diffusion": "王国期の祭祀が捕囚と第二神殿期を通じて律法を中心とする宗教へ再編され、ヘレニズム期以降は地中海世界各地のディアスポラ共同体へ広がった。70年の神殿崩壊後はラビ・ユダヤ教としてミシュナ・タルムードの学統により継承され、中世には西アジア・北アフリカ・ヨーロッパで異なる伝統（セファルディム、アシュケナジムなど）が形成された。",
      "adherents_scale": "1,000万〜1億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年代の推計で約1,400万人。世界人口比では約0.2%で区分の下限に近い。唯一神信仰の成立時期については捕囚期成立説と早期成立説があり、発生年代の確度は低い。中核概念の「国民」は契約共同体としての「民」への近似であり、近代的な国民概念とは系譜が異なる。",
      "modern_impact": "律法解釈の伝統は宗教法・生命倫理の議論に継承され、ヘブライ語聖書は他の二つのアブラハム系宗教の共通の参照点となった。20世紀のホロコーストの記憶と国家イスラエルの成立は、宗教共同体と近代国家の関係をめぐる議論の主要な主題である。",
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      "adherents_scale": "10億超",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年推計で約21億8,000万人、2020年前後の推計では約24億人。教派ごとの成員定義の差により推計には幅がある。",
      "modern_impact": "暦、祝祭、法と倫理の語彙、教育・医療の制度史に広範な痕跡を残す。20世紀後半以降はサハラ以南アフリカとラテンアメリカの教会の比重が高まり、世界のキリスト教人口の重心が南半球へ移動したことが指摘されている。",
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      "diffusion": "アラビア半島西部で成立した共同体が、7〜8世紀の征服と統治機構の整備を通じて西アジア・北アフリカ・イベリア半島・中央アジアへ広がった。以後は交易路とスーフィー教団の活動により西アフリカ、インド洋沿岸、東南アジアへ浸透し、各地の在来の社会制度と結合しながら定着した。",
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      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年推計で約16億人、2020年前後の推計では約19億人。610年・622年という年代は後代のシーラ（預言者伝）に基づく伝承的年代であり、初期史料の成立過程をめぐる修正主義的な議論があるため確度をBとした。発生地はアラビア半島ヒジャーズ地方だが本表のREGに該当項目がないため、初期の拡大の主舞台となった地中海世界を暫定的に参照した。",
      "modern_impact": "法学（フィクフ）の伝統は家族法や金融の制度に接続し、複数の国家で法源として位置づけられている。信徒人口の増加率が相対的に高く、21世紀の宗教人口構成をめぐる推計の主要な論点となっている。",
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      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年推計で約10億3,000万人。単一の創始者・教団・正典をもたない複合的な伝統であり、「ヒンドゥー教」という単一宗教としての括り方自体が19世紀の植民地統計と近代改革運動のなかで定着したとする有力な研究がある（確度をBとした理由）。中核概念の「階級」はヴァルナ・ジャーティへの近似であり、対応は暫定的。",
      "modern_impact": "南アジアの法制度、暦、生活慣行に広く関与し、ヨーガや瞑想の実践は世俗的な形で国際的に普及した。宗教的帰属と国民的帰属を結びつける現代の政治潮流とこの伝統の関係は、活発な学術的論争の対象である。",
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      "diffusion": "各地の在地祭祀が律令国家の神祇制度に編成され、記紀の編纂によって神話が文字化された。中世には仏教教学と結合した神道説（両部神道・伊勢神道）、近世には儒教と結びついた説や国学に基づく復古神道が形成され、明治期には神社制度の再編と学校教育を通じて全国的に規格化された。",
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      "modern_impact": "初詣・祭礼・通過儀礼として広範な生活実践に残る一方、日本国憲法の政教分離規定のもとで公的機関と神社の関係は司法判断の対象となってきた。近代の国家神道をどう位置づけるかは、現在も歴史学の主要な論点である。",
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      "diffusion": "大西洋奴隷貿易でキューバへ連行されたヨルバ語圏の人々の神格体系と占術が、カトリックの聖人崇敬や相互扶助組織（カビルド）の枠組みのもとで再編された。1959年の革命前後の移民により米国のフロリダ・ニューヨーク、さらにベネズエラ、メキシコ、スペインへ広がった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "入信情報の秘匿性とカトリックとの併行実践により、信頼できる統計が存在しない。キューバ国内の実践者を数十万人とする推計から数百万人とする推計まで幅がある。中核概念は運命観（オリ）、儀礼による回復、神格の権能を既存CONへ近似したもので対応は弱く、NAR-0004 ヨルバ宗教の記載に揃えた。",
      "modern_impact": "キューバおよび米国のディアスポラの音楽・舞踊・美術に持続的な影響を与えている。米国では1993年の連邦最高裁判決（Church of the Lukumi Babalu Aye v. City of Hialeah）が、儀礼としての動物供犠と信教の自由に関する判例となった。",
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      "diffusion": "バイーアを中心に、ヨルバ（ナゴー）、フォン（ジェジェ）、バントゥ（アンゴラ）系の儀礼伝統がカトリックの聖人暦と対応づけられながら、テレイロ（祭場）を単位に組織化された。20世紀にはリオデジャネイロ、サンパウロなどブラジル各地へ広がり、ウンバンダなど関連する実践とも交差した。",
      "adherents_scale": "100万未満",
      "adherents_note": "ブラジル地理統計院（IBGE）2010年国勢調査でカンドンブレの申告者は約16万7,000人、ウンバンダを含むアフロ系宗教全体で約58万8,000人。カトリックとの併行実践と社会的偏見により自己申告は過少になりやすく、実践者数はこれを上回るとみられるため区分には幅がある。中核概念はNAR-0004 ヨルバ宗教に揃えた近似的対応にとどまる。",
      "modern_impact": "ブラジルの音楽、料理、祝祭の文化的基層をなし、サルヴァドールのテレイロの一部は国の文化遺産に指定されている。近年は宗教的不寛容に基づく襲撃事案が報告され、信教の自由をめぐる政策課題となっている。",
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      "diffusion": "西アフリカのフォン・エウェ系（ダホメ）およびヨルバ系、中部アフリカのコンゴ系の儀礼が、サン＝ドマングのプランテーション社会でカトリックの図像と暦に結合して成立した。1804年の独立以後もハイチ社会に定着し、20世紀の移民により米国（ニューヨーク、マイアミ）、カナダ、フランスへ広がった。",
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      "adherents_note": "カトリックとの併行実践が一般的で、自己申告統計と実践の実態が大きく食い違う。人口の多数が何らかの形で関与するという推計と、専従的な実践者は限定的とする推計が併存する。ヴードゥーは2003年にハイチで公式に宗教として承認された。中核概念はNAR-0004 ヨルバ宗教に揃えた近似的対応にとどまる。",
      "modern_impact": "ハイチ革命の記憶と結びついた文化的独自性の象徴として参照される。他方、欧米の大衆文化における「ヴードゥー」表象は実際の儀礼体系と大きく異なる紋切り型であるとして、宗教学・人類学から批判が重ねられている。",
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      "era_display": "1517年（九十五箇条の提題）〜1648年（ウェストファリア条約）",
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      "diffusion": "印刷術と俗語訳聖書により中欧・北欧へ急速に広がり、諸侯や自由都市の政治的選択と結びついて領邦教会として制度化された。17世紀以降は北米への移民、18〜19世紀の信仰復興運動と海外宣教によりアフリカ・アジア・太平洋へ拡大し、20世紀にはペンテコステ派の急成長が南半球で顕著となった。",
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      "adherents_note": "Pew Research Center の2011年報告『Global Christianity』ではプロテスタント人口を約8億人（キリスト教徒の約37%）と推計。独立系教会の扱いにより推計は大きく変動し、これを含めて10億人前後とする集計もある。中核概念の「天賦人権」は良心の自由・万人祭司への近似であり、対応は間接的。",
      "modern_impact": "聖書の俗語訳と識字の普及、教会内の合議的意思決定は、近代の公共圏と教育制度の形成をめぐる歴史研究で繰り返し検討されてきた。現在も南北アメリカ、サハラ以南アフリカ、東アジアの宗教地図を大きく規定している。",
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      "diffusion": "戦国期の道家思想と、後漢末の五斗米道・太平道に始まる教団組織という異なる系統が結合し、六朝期に経典体系が整備された。唐代には王朝の後援を受けて国家的地位を得て、朝鮮半島・日本・ベトナムへは経典・儀礼・養生術・民間信仰の要素として断片的に伝わった。",
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      "adherents_note": "複数の宗教実践が重層するため自己申告による帰属統計が成立しにくく、道士・宮観の登録数と民間信仰の実践者数は桁が異なる。思想（道家）と教団宗教（道教）を一つの物語として扱うことには学説上の異論があり、確度をBとした。中核テキスト『老子（道徳経）』『荘子』は本表のTXTに未収録。中核概念は道・無為・自然といった中心語彙が本表のCONにないため近似にとどまり、対応は弱い。",
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      "category": "建国神話",
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      "era_year": -753,
      "diffusion": "双子の建国者伝承とトロイアから逃れたアエネアスの系譜が、共和政末期から帝政初期にかけて文学と造形芸術により統合され、公的儀礼・貨幣・記念建造物を通じて帝国全域に流通した。中世以降は「ローマの継承」を主張する諸政体（東ローマ、神聖ローマ帝国、モスクワ第三ローマ論など）に繰り返し引用された。",
      "adherents_scale": "消滅",
      "adherents_note": "国家祭祀としてのローマの宗教は古代末に途絶えており帰属人口という指標が適用できないため「消滅」と区分した。ただし物語自体は文学・美術・政治的修辞として現在も参照され続けている。建国年前753年はウァロによる遡及的算定であり、考古学的にはローマの集落形成はより漸進的であったことが確認されている。中核概念の「天命」は神意・運命（fatum）への近似で、中国的な天命思想とは系譜が異なる。",
      "modern_impact": "共和政、元老院、市民権といった制度語彙とともに、西欧の政治的自己叙述に繰り返し引用されてきた。近代イタリアの国家形成期や20世紀の政治運動による古代ローマの援用は、歴史の政治的利用を検討する研究の主要な事例である。",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "1882年（第一次アリヤー）／1897年（第1回シオニスト会議）／1948年（イスラエル国の独立宣言）",
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      "diffusion": "中東欧のユダヤ人共同体における迫害の経験と、同時代ヨーロッパの国民国家理念を背景に、ヘルツルらによる政治的組織化（世界シオニスト機構）を通じて綱領化された。移民（アリヤー）、土地取得機関、労働運動の組織を通じてオスマン領および英委任統治領パレスチナに社会的基盤が形成され、1948年の建国後は国家の公式の自己叙述として制度化された。",
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      "adherents_note": "理念への帰属を測る国際比較可能な統計がない。イスラエルの人口（約1,000万人）や世界のユダヤ人人口は帰属の指標とは別のものである。運動の内部には政治的・労働・宗教・修正主義など複数の潮流があり、単一の物語として括ることには学説上の留保がある。発生地である中東欧に対応するREG項目が本表にないため、運動の組織化が進んだ西ヨーロッパと、対象地パレスチナを含む地中海世界を参照した。対抗関係にあるパレスチナ・ナショナリズムの物語は本表にエンティティが存在しないため、対抗物語欄は空とした。",
      "modern_impact": "イスラエル国家の建国叙述として法・教育・記憶の制度に組み込まれている。同じ土地をめぐるパレスチナ側の民族的叙述とは相容れない歴史像を提示しており、両者の関係は現在の紛争と国際政治の中心的な争点であり続けている。",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "1789年（フランス革命）／1848年（標語の公式採用）／1880年代（第三共和政による制度化）",
      "era_year": 1789,
      "diffusion": "革命期の人権宣言と国民主権の原理が、第三共和政下の義務教育、徴兵制、記念行事、公的建築に刻まれた標語を通じて国民規模で共有された。ヨーロッパの1848年革命、ラテンアメリカや中東欧の共和主義運動、20世紀のトルコやアフリカ諸国の国家建設にも参照モデルを提供した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理念への帰属を測る標準的な統計がない。標語「自由・平等・友愛」の定式化の時期については、革命期に遡らせる説と1848年以降の定着を重視する説がある。中核テキストは1789年の人権宣言が本来適切だが本表のTXTに未収録のため、思想的前提をなす『社会契約論』を参照した。",
      "modern_impact": "共和国の不可分性、政教分離（ライシテ）、普遍主義的な市民概念は現行憲法秩序の基本原則であり、宗教的表現、移民統合、少数者の承認をめぐる論争の枠組みとなっている。",
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      "category": "建国神話",
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      "era_year": 1923,
      "diffusion": "独立戦争と共和国樹立の経験が、共和人民党の綱領（共和主義・国民主義・人民主義・国家主義・世俗主義・革命主義）として定式化され、教育制度、文字改革、記念日、公的な歴史叙述を通じて普及した。一党制のもとでの近代化路線や、軍を近代化の担い手とみなす政治モデルの参照例として、近隣諸国でも論じられた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理念への支持を測る比較可能な長期統計がない。ケマリズムを一貫した思想体系とみなすか、状況ごとの政策の事後的な整理とみなすかについて学説が分かれるため確度をBとした。発生地アナトリアに対応するREG項目が本表にないため、地中海世界を暫定的に参照した。",
      "modern_impact": "共和国の世俗性、単一の国民概念、国家の主導的役割という枠組みは、現在のトルコ政治における主要な争点であり続けている。宗教と公的領域の関係、クルド系住民の地位、歴史叙述のあり方をめぐる論争は、この枠組みの再検討として展開している。",
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      "name": "檀君神話と韓民族の物語",
      "name_en": "The Dangun Myth",
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "建国神話",
      "era_display": "1281年頃（『三国遺事』への記録）／前2333年（伝承上の建国年）／20世紀初頭（近代的な再文脈化）",
      "era_year": 1281,
      "diffusion": "高麗末の『三国遺事』『帝王韻紀』に記録された古朝鮮の建国伝承が、朝鮮王朝期には国家祭祀の対象として位置づけられた。20世紀初頭には申采浩らの民族史叙述や大倧教の活動を通じて、植民地期の同化的な歴史叙述に対抗する民族の起源譚として再編され、解放後は南北双方の歴史教育と記念行事にそれぞれ異なる位置づけで組み込まれた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "神話への帰属を測る統計がない。伝承上の建国年（前2333年）は後代の遡及的算定であり、考古学的な検証の対象とはならない。『三国遺事』の成立年（1281年頃）にも数年の幅がある。中核概念の「天命」は桓因・桓雄の天降り伝承への近似であり、中国的な天命思想とは系譜が異なる。",
      "modern_impact": "民族の同質性と長い連続性を前提とする歴史像は、南北の統一言説や国民統合の語彙に用いられている。他方、単一民族という枠組み自体は、多文化化する社会の実態と史料批判の双方の観点から学術的な再検討が進んでいる。",
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      "category": "サピエンス",
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      "era_year": -3200,
      "diffusion": "ウルク期の会計記録に始まる楔形文字体系が神殿・王宮の行政とともに西アジアへ広がり、エジプト、インダス、中国、メソアメリカでは独立あるいは刺激伝播により別系統の書記体系が成立した。前2千年紀の西セム系子音文字はフェニキアの交易網を通じてギリシアおよびイタリア半島へ伝わり、アルファベット系文字の祖型となった。近代以降は印刷術、義務教育による識字の普及、文字コードの標準化が伝播の条件となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "識字率の統計（ユネスコ等）は存在するが、信奉という単位が適用できない。文字の起源については複数地域での独立発生説と刺激伝播説があり、また原楔形文字を「文字」とみなす基準自体に議論があるため確度をBとした。中核概念は記録・権威・行政といった中心語彙が本表のCONに存在しないため近似にとどまり、対応は弱い。",
      "modern_impact": "法典、契約、官僚制、経典、学術論文といった長距離・長期の情報伝達を担う制度の前提をなす。デジタル化以降も、記録の真正性、長期保存、アクセスの設計は文字を基盤とする制度の延長として論じられている。",
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      "category": "サピエンス",
      "era_display": "前2100年頃（ウル・ナンム法典）／前18世紀（ハンムラビ法典）",
      "era_year": -2100,
      "diffusion": "メソポタミアの王による裁定集・法典碑文を最古の事例として、ヘブライ語聖書の律法、ローマ法、イスラーム法学（フィクフ）、中国の律令といった系統の異なる法伝統が並行して展開した。ローマ法は中世ヨーロッパの大学におけるユスティニアヌス法典の再発見を通じて学問化され、1804年のフランス民法典などの近代法典として体系化された後、植民地化と法典移植により東アジア・アフリカ・ラテンアメリカへ広がった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "制度であり帰属人口という指標が適用しにくい。ウル・ナンム法典の年代には幅があり、これらの文書を実定法典とみなすか王の徳を示す記念碑とみなすかについても学説が分かれる。中核テキストのハンムラビ法典・ローマ法大全は本表のTXTに未収録。中核概念の「天賦人権」は近代の法の支配・権利保障への近似であり、古代の法伝統には直接対応しない。",
      "modern_impact": "立憲主義、成文憲法、国際法、司法審査といった現代の統治制度の枠組みをなす。法の支配の指標化や、慣習法・宗教法と国家法の関係は、比較法学と開発政策の主要な論点である。",
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      "category": "サピエンス",
      "era_display": "1602年（オランダ東インド会社）／1855年〜1862年（イギリスの有限責任法と会社法）",
      "era_year": 1602,
      "diffusion": "中世ヨーロッパの都市・大学・修道会に適用された団体の法理と、特許状により交易独占を与えられた勅許会社が結合し、17世紀のオランダおよびイングランドで譲渡可能な株式と永続的資本をもつ組織が成立した。19世紀半ばの一般設立主義と有限責任の法制化により設立が容易になり、法典移植と多国籍企業の展開を通じて世界標準の事業組織形態となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "登録法人数の統計は各国に存在するが、信奉者という単位には対応しない。法人格の観念をローマ法に遡らせる説、中世教会法の団体理論に求める説、近代固有の制度とみる説が併存するため確度をBとした。",
      "modern_impact": "有限責任と法人格は、資本調達、雇用、課税、責任の帰属を規定する経済制度の基本単位となっている。企業の政治的発言や、人権・環境に関する責任の及ぶ範囲は、法人という擬制の限界をめぐる現代の論争点である。",
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      "category": "近代イデオロギー",
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      "era_year": 1689,
      "diffusion": "イングランドの内戦と名誉革命をめぐる論争のなかで、統治の同意、所有権、宗教的寛容を主張する言説が形成され、アメリカ独立とフランス革命の文書に定式化された。19世紀にはスペインの「リベラレス」を経由して政治的立場の名称として定着し、自由貿易・議会改革の運動、20世紀の福祉自由主義、20世紀後半の新自由主義など複数の潮流に分岐した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "思想的立場であり帰属人口の統計がない。ロック『統治二論』、J.S.ミル『自由論』、ロールズ『正義論』といった中核テキストは本表のTXTに未収録のため、リベラルな権利論の定式として『アメリカ独立宣言』を暫定的に参照した。起点を17世紀の契約論に置くか19世紀の命名に置くかについて学説が分かれるため確度をBとした。",
      "modern_impact": "個人の権利、法の支配、権力分立、市場と私的領域の保護は、多くの憲法秩序と国際人権規範の前提となっている。他方、経済的自由と平等の関係、文化的多様性の扱いをめぐって内部に持続的な論争がある。",
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      "name": "ファシズム",
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      "category": "近代イデオロギー",
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      "era_year": 1919,
      "diffusion": "第一次世界大戦後のイタリアで、参戦派の民族主義、革命的サンディカリズムの一部、退役軍人の組織が結合して運動として編成され、1922年に政権を掌握した。以後ヨーロッパ各国に類似の運動が現れ、ドイツの国民社会主義をはじめとする諸体制が成立したが、それらを同一の類型に括りうるかは学説上の論争が続いている。1945年の枢軸国の敗戦により、統治体制としては終焉した。",
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      "adherents_note": "体制期の党員数（イタリア国民ファシスト党で数百万人規模）の記録はあるが、一党制下の登録であり思想への帰属とは別の指標である。何を「ファシズム」の範囲に含めるか（イタリアに限定する説、ドイツを含む一般概念とする説、戦後の諸運動へ適用する説）が学説上の主要な論争点であるため確度をBとした。中核概念の「階級」は階級対立を国民的統一へ解消するという主張への参照であり、構成要素としてではなく争点として対応させている。",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "1840年（プルードン『所有とは何か』）〜1872年（第一インターナショナルの分裂）",
      "era_year": 1840,
      "diffusion": "プルードン、バクーニン、クロポトキンらの著作と第一インターナショナル内部の論争を通じて、強制装置としての国家を経ずに社会的協働を組織するという構想が定式化された。移民労働者と印刷物のネットワークによりスペイン、イタリア、ロシア、ラテンアメリカ、日本、中国へ伝わり、労働組合運動（アナルコ・サンディカリズム）として組織化された。スペイン内戦期の集団化を頂点として組織的影響力は縮小し、20世紀後半以降は環境運動や相互扶助の実践として再流通している。",
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      "adherents_note": "中央組織をもたないため会員統計が成立しない。1930年代スペインの全国労働連合（CNT）が百万人規模の組合員を擁したとする推計はあるが、思想への帰属とは別の指標である。個人主義的潮流と共産主義的潮流の綱領の差が大きく、単一の物語として括ることには留保が要るため確度をBとした。",
      "modern_impact": "非階層的な意思決定、相互扶助、直接行動といった組織原理は、社会運動、協同組合、オンラインの共同制作の実践で参照されている。国家なき秩序の可能性については、人類学と政治理論の双方から検討と批判が続いている。",
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      "name": "保守主義",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "1790年（バーク『フランス革命の省察』）／1830年代（政党名称としての定着）",
      "era_year": 1790,
      "diffusion": "フランス革命への応答として、抽象的原理による社会の再設計に対し、歴史的に蓄積された慣習・法・中間団体の優位を説く言説が形成された。ウィーン体制期の大陸ヨーロッパでは正統主義として、イギリスでは保守党の綱領として制度化され、20世紀後半の米国では伝統主義・自由市場論・反共産主義が結合した潮流が形成された。",
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      "adherents_note": "政党支持率は各国に存在するが、思想への帰属を示す国際比較可能な統計はない。保守主義を一貫した思想体系とみなすか、変化への応答の様式（気質・態度）とみなすかで学説が分かれるため確度をBとした。中核テキストのバーク『フランス革命の省察』は本表のTXTに未収録。中核概念は慣習・時効・漸進性といった中心語彙が本表のCONにないため近似にとどまる。",
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      "name": "風土論",
      "name_en": "Fudo (Climate and Culture)",
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      "category": "国家思想",
      "era_display": "1929年〜1935年（和辻哲郎の講義と『風土』の刊行）",
      "era_year": 1935,
      "diffusion": "ハイデガーの存在論における時間性の分析に対し、空間性・環境性を対置する試みとして構想され、モンスーン・沙漠・牧場という類型により気候と人間の存在様式を対応づける議論が提示された。大学の倫理学・哲学の講義と全集を通じて日本国内で継承され、1961年の英訳以降は比較文化論・環境哲学の文脈で国外にも紹介された。",
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      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。和辻『風土——人間学的考察』『倫理学』は本表のTXTに未収録。中核概念は風土・間柄・人間存在といった中心語彙が本表のCONに存在しないため近似にとどまり、対応は弱い。類型論が同時代の日本の対外政策とどの程度共鳴したかについては学説上の評価が分かれるため確度をBとした。",
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      "name": "ユーラシア主義",
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "1921年（亡命ロシア知識人の論集『東方への脱出』）／1990年代（ネオ・ユーラシア主義の再興）",
      "era_year": 1921,
      "diffusion": "ロシア革命後にソフィア、プラハ、パリへ亡命した言語学者・地理学者・歴史家の論集を通じて、ロシアをヨーロッパでもアジアでもない独自の「ユーラシア」文明とみなす枠組みが提示された。運動は1930年代に分裂して衰退したが、ソ連期のグミリョフの民族生成論を媒介として1990年代以降に地政学的言説として再編され、政治的言論、教育、対外政策論の語彙として流通している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理念への帰属を測る統計がない。1920年代の亡命者の学術運動と1990年代以降のネオ・ユーラシア主義を同一の物語として括ることには学説上の留保があり確度をBとした。発生地であるロシアおよび亡命先の中東欧に対応するREG項目が本表にないため、亡命地を含む西ヨーロッパを暫定的に参照した。中核概念は文明・空間・多民族統合といった中心語彙が本表のCONにないため近似にとどまる。",
      "modern_impact": "単一の普遍的な近代化経路を否定し、文明を単位とする多極的な国際秩序を構想する議論の参照枠となっている。この枠組みが現実の政策決定に及ぼす影響の程度については、研究者の評価が大きく分かれている。",
      "region_ids": [
        "REG-0008",
        "REG-0014"
      ],
      "core_text_ids": [],
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      ]
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    {
      "id": "NAR-0050",
      "name": "パン・アフリカニズム",
      "name_en": "Pan-Africanism",
      "aliases": [
        "汎アフリカ主義",
        "アフリカ統一運動"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "1900年（ロンドンの第1回パン・アフリカ会議）〜1963年（アフリカ統一機構の設立）",
      "era_year": 1900,
      "diffusion": "カリブ海・北米のディアスポラ知識人（シルヴェスター・ウィリアムズ、デュボイス、ガーヴィーら）が主導した一連の会議と機関誌を通じて形成され、1945年のマンチェスター会議で脱植民地化の綱領と結びついた。エンクルマ、ケニヤッタらの帰国により大陸の独立運動へ還流し、1963年のアフリカ統一機構、2002年のアフリカ連合として制度化された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理念への帰属を測る統計がない。大陸の政治的統一を志向する潮流とディアスポラの文化的連帯を志向する潮流は綱領を異にし、単一の物語として括ることに留保が要るため確度をBとした。発生地は会議の開催地であるロンドンおよび大西洋のディアスポラ社会であり、該当するREGを参照した。",
      "modern_impact": "アフリカ連合、地域経済共同体、大陸自由貿易圏といった地域統合の制度に理念的基盤を与えている。奴隷制と植民地支配に関する賠償、文化財の返還、ディアスポラの市民権をめぐる現代の議論でも参照されている。",
      "region_ids": [
        "REG-0007",
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    },
    {
      "id": "NAR-0051",
      "name": "アメリカ例外主義",
      "name_en": "American Exceptionalism",
      "aliases": [
        "例外主義",
        "アメリカン・エクセプショナリズム"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "1630年（ピューリタンの「丘の上の町」）／1835年〜1840年（トクヴィル）／1929年（用語としての定着）",
      "era_year": 1831,
      "diffusion": "ピューリタンの契約と使命の観念、独立革命の共和主義、フロンティアをめぐる自己叙述が重ねられ、19世紀の旅行記と歴史叙述のなかで合衆国を他国と異なる事例とみなす枠組みが形成された。「例外主義」という語自体は1920年代の共産主義運動内部の論争を経由して定着し、冷戦期には対外政策の正統化と自己批判の双方の語彙として用いられた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "世論調査には「自国は他国より優れている」とする回答の比率など関連指標があるが、物語への帰属を測る単一の統計はない。例外主義を歴史的事実についての経験的主張とみるか規範的な自己叙述とみるかで議論の内容が異なるため確度をBとした。中核概念の「天命」は摂理・神意への近似であり、中国的な天命思想とは系譜が異なる。中核テキストは合衆国の自己叙述の基本文書として『アメリカ独立宣言』を参照した。",
      "modern_impact": "対外関与、国際制度への参加、国内の社会政策をめぐる議論で、比較の基準として繰り返し引用される。比較歴史学・比較政治学では、合衆国の特異性を主張する命題自体が検証の対象とされている。",
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    {
      "id": "NAR-0052",
      "name": "永遠回帰の神話",
      "name_en": "The Myth of the Eternal Return",
      "aliases": [
        "祖型と反復",
        "古代的存在論"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "物語論",
      "era_display": "1949年（エリアーデ『永遠回帰の神話』の刊行）",
      "era_year": 1949,
      "diffusion": "1949年にパリで刊行された著作を通じて、儀礼による時間の更新と祖型の反復が古代的存在論の中心をなすとする枠組みが提示された。1954年の英訳と、1956年以降のシカゴ大学における宗教学講座および叢書の編集を通じて、比較宗教学、文学研究、美術批評へ広く流通した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。エリアーデ『永遠回帰の神話』『聖と俗』は本表のTXTに未収録。諸文化の時間観を循環と直線の二分法に整理する枠組みには、文化的差異を捨象しているとの批判が提起されているため確度をBとした。中核概念は祖型・反復・聖なる時間といった中心語彙が本表のCONにないため近似にとどまり、対応は弱い。",
      "modern_impact": "宗教研究における時間論・儀礼論の古典的な参照点であり、文学・映画の批評語彙としても用いられる。他方、著者の1930年代の政治的関与と学説の関係は、学史研究の主要な論点となっている。",
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      ]
    },
    {
      "id": "NAR-0053",
      "name": "想像の共同体",
      "name_en": "Imagined Communities",
      "aliases": [
        "想像された共同体",
        "出版資本主義論"
      ],
      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "物語論",
      "era_display": "1983年（初版）／1991年（増補版）",
      "era_year": 1983,
      "diffusion": "1983年にロンドンで刊行され、国民を「想像された政治的共同体」と定義したうえで、出版資本主義、植民地官僚の巡礼的な経歴、地図・国勢調査・博物館を媒介とする成立過程が論じられた。30以上の言語に翻訳され、歴史学、人類学、政治学、地域研究の標準的な参照文献となっている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。国民の近代的な構築性という主張は広く共有されているが、前近代的な民族的紐帯を重視するエスノシンボリズムからの異論があり、この点は既存のNAR-0017 ナショナリズムの記載と対応する。中核概念は出版資本主義・同時性・巡礼といった中心語彙が本表のCONにないため近似にとどまる。",
      "modern_impact": "国民の自然性を前提とする歴史叙述を批判的に検討する枠組みを提供し、メディアと集合的アイデンティティの関係を論じる研究の出発点となっている。ナショナリズムとの関係は系譜的な派生ではなく分析的な観察であり、デジタル・メディア環境における共同体形成の分析にも援用されている。",
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    },
    {
      "id": "NAR-0054",
      "name": "物語形態論",
      "name_en": "Morphology of the Folktale",
      "aliases": [
        "昔話の形態学",
        "プロップの31の機能"
      ],
      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "物語論",
      "era_display": "1928年（ロシア語初版）／1958年（英訳）",
      "era_year": 1928,
      "diffusion": "アファナーシエフ編のロシア魔法昔話を資料に、登場人物の属性ではなく行為の機能を単位として物語構造を記述する方法が提示された。1958年の英訳を機に、レヴィ＝ストロースとの論争を経て構造主義的な物語論（グレマス、ブレモン、バルト）へ接続し、以後は民俗学のほか脚本論、ゲームデザイン、計算論的な物語分析にも応用されている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。分析対象はロシアの魔法昔話に限定されており、31の機能をあらゆる物語へ一般化できるかは論争点である。中核概念は機能・行為項・移動といった中心語彙が本表のCONにないため、既存のNAR-0021 単一神話論（英雄の旅）の記載に揃えた近似にとどまり、対応は弱い。成立地はレニングラード（ロシア）で本表のREG項目に該当がないため、西ヨーロッパを暫定的に参照した。",
      "modern_impact": "物語を有限個の機能の連鎖として形式化する発想は物語論の基礎をなし、物語の自動生成や大規模コーパスの分析にも用いられている。単一神話論と並んで物語の普遍構造をめぐる議論の一方の極を占めるが、両者は資料も方法も異なる独立の系譜である。",
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    {
      "id": "NAR-0056",
      "name": "脱成長",
      "name_en": "Degrowth",
      "aliases": [
        "デクロワサンス",
        "ディグロース",
        "減成長"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1972年（『成長の限界』）／2002年（décroissance の運動化）／2008年（第1回国際脱成長会議）",
      "era_year": 2002,
      "diffusion": "ジョージェスク＝レーゲンのエントロピー経済学、イリイチの制度批判、ローマクラブの『成長の限界』を前史として、2002年前後のフランス語圏で運動の標語として定式化された。2008年のパリ会議以降は隔年の国際会議、学術誌、市民団体のネットワークを通じてヨーロッパを中心に広がり、生態経済学の学術分野と接続している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "運動への帰属を測る統計がない。GDPの縮小それ自体を目標とする立場と、成長を政策目標から外す（ポスト成長）立場は綱領を異にし、単一の物語として括ることに留保が要る。中核概念の「無限成長」は本物語が批判の対象とする概念であり、構成要素としてではなく争点として参照している。",
      "modern_impact": "気候政策における十分性（sufficiency）や物質フットプリントの議論に語彙を提供している。経済成長と環境負荷の切り離し（デカップリング）が十分な速度で可能かどうかをめぐる実証的論争の一方の当事者である。",
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        "REG-0008"
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        "NAR-0018",
        "NAR-0058"
      ]
    },
    {
      "id": "NAR-0057",
      "name": "エコモダニズム",
      "name_en": "Ecomodernism",
      "aliases": [
        "エコ近代主義",
        "エコプラグマティズム"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2004年（先行する論考）／2015年（『エコモダニスト宣言』）",
      "era_year": 2015,
      "diffusion": "2000年代の米国のシンクタンクにおける既存の環境運動批判を前史として、2015年に18名の署名による『エコモダニスト宣言』が公表され、技術による土地・資源利用の集約と自然からの「切り離し（デカップリング）」を掲げる立場が定式化された。原子力、都市集中、集約農業をめぐる政策論争を通じて、欧米の環境政策とメディアの議論に流通している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "運動への帰属を測る統計がない。宣言の署名者は特定できるが、立場の広がりを示す指標はない。中核概念の「無限成長」は、環境負荷との切り離しを前提に経済成長を肯定する点で参照されるが、宣言自体が無制限の成長を主張しているわけではないため対応は近似的である。",
      "modern_impact": "原子力、遺伝子改変作物、都市の集約といった技術選択をめぐる環境政策論争の一方の立場として参照される。デカップリングの実証的な可能性をめぐる論争が、脱成長との対立の中心にある。",
      "region_ids": [
        "REG-0010"
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      ]
    },
    {
      "id": "NAR-0058",
      "name": "加速主義",
      "name_en": "Accelerationism",
      "aliases": [
        "アクセラレーショニズム",
        "左派加速主義／右派加速主義"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1990年代（英国の研究集団CCRU）／2013年（『加速主義政治宣言』）",
      "era_year": 2013,
      "diffusion": "ドゥルーズ＝ガタリやリオタールの初期テクストの一節を出発点として、1990年代の英国の研究集団と2000年代のオンラインの理論圏で定式化され、2013年のスルニチェク＆ウィリアムズによる宣言と2014年の論集を通じて用語が定着した。技術的近代化を減速ではなく徹底によって乗り越えるという構えを共有しつつ、左派と右派に大きく分岐している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "現在進行形の理論的潮流であり規模の指標がない。左派加速主義（生産力の社会的再領有）と右派・無条件加速主義（市場と技術の自律的過程の肯定）は主張が大きく異なり、単一の綱領をもつ運動ではなく、技術的近代化を減速ではなく徹底することで乗り越えるという構えを共有する潮流の総称として括っている。記述は各潮流の自己記述および研究文献（ノイス、マッケイ＝アヴァネシアン）に基づく。中核概念からはCON-0015 シンギュラリティ（確度C・非公開）を外しており、技術的特異点に対応する公開可能な概念項目は未整備である。",
      "modern_impact": "技術と資本の速度をめぐる批評理論の語彙として、美術批評、メディア研究、政治理論で参照されている。政策的な綱領としての具体性は乏しく、影響の範囲は主に言説の水準にとどまる。",
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      ]
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    {
      "id": "NAR-0059",
      "name": "長期主義",
      "name_en": "Longtermism",
      "aliases": [
        "ロングターミズム",
        "強い長期主義"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2010年代後半（用語の定式化）／2022年（『What We Owe the Future』）",
      "era_year": 2017,
      "diffusion": "功利主義的な帰結主義と、オックスフォードの研究機関における実存的リスクの研究を背景に、効果的利他主義の運動内部で「遠い未来の世代への影響を優先する」という立場として定式化された。財団の助成、大学の研究センター、一般向け書籍（2020年『The Precipice』、2022年『What We Owe the Future』）を通じて流通し、AI安全性、生物学的リスク、気候の長期影響をめぐる議論に接続している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "現在進行形の運動であり規模を示す指標がない。効果的利他主義の関連団体の参加者数の推計は存在するが、長期主義への帰属とは別の指標である。将来世代の利益を意思決定に組み込む一般的な議論と、期待値計算に基づく「強い長期主義」は区別され、後者には哲学・開発研究からの批判が集中している。本レコードは用語の定式化と流通の経路を記述するものであり、いずれの立場の妥当性も支持しない。中核概念の「終末論」は実存的リスク論への近似であり、宗教的終末論とは系譜が異なる。中核概念からはCON-0015 シンギュラリティ（確度C・非公開）を外している。",
      "modern_impact": "慈善資金の配分、AIおよびバイオセキュリティの研究政策に影響を与えている。将来世代の割引率、確率が極端に小さい事象の扱い、現在の貧困対策との優先順位をめぐって、倫理学と開発研究から批判が提起されている。",
      "region_ids": [
        "REG-0008",
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      ],
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    },
    {
      "id": "NAR-0060",
      "name": "ソーラーパンク",
      "name_en": "Solarpunk",
      "aliases": [
        "太陽光パンク",
        "ソーラーパンク運動"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2008年（用語の初出とされるブログ記事）／2012年（ブラジルの短編集）／2014年（マニフェストの流通）",
      "era_year": 2014,
      "diffusion": "2008年のブログ記事での命名を起点に、2012年のブラジルの短編アンソロジー、2014年前後の英語圏のマニフェストと画像共有サービス上の視覚的な作例を通じて広がった。中央集権的な大規模技術ではなく分散型の再生可能エネルギーと共同体的な自治を主題とする美学として、小説、イラスト、建築のヴィジュアライゼーション、広告に流通している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "美学・創作の潮流であり帰属人口の統計がない。中心的な組織や正典をもたず、オンラインでの分散的な自己定義に依拠するため、運動の範囲の確定には論者による幅がある。記述は参加者による宣言・作品序文などの自己記述に基づき、外部からの学術的な通史は成立途上である。",
      "modern_impact": "気候変動をめぐる叙述に、破局的な未来像とは異なる可視的な代替像を提供している。他方、企業広告への取り込みや、技術的・政治的な実現条件が具体化されていない点については批評的な指摘がある。",
      "region_ids": [
        "REG-0007",
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        "CON-0014",
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      ],
      "counter_narrative_ids": []
    },
    {
      "id": "NAR-0061",
      "name": "大乗仏教",
      "name_en": "Mahayana Buddhism",
      "aliases": [
        "大乗",
        "マハーヤーナ",
        "北伝仏教"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "宗教",
      "era_display": "前1世紀〜後2世紀頃（初期大乗経典群の成立期。成立過程には諸説あり）",
      "era_year": -100,
      "diffusion": "般若経典群・法華経・浄土経典などを担い手とする運動として亜大陸北西部で形成され、中央アジアの隊商路を経て漢訳仏典とともに中国へ入り、朝鮮半島・日本・ベトナムへ広がった。7世紀以降はチベット・モンゴルへ密教的形態が伝わり、20世紀以降は移民と翻訳を通じて欧米にも定着した。",
      "adherents_scale": "1億〜10億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年前後の推計で仏教徒総数は約4.9億人、うち東アジアが約半数を占める。大乗と上座部を分離した公式統計は存在せず、東アジアでは複数の宗教実践が重層するため帰属人口の推計には大きな幅がある。中核テキストとなる般若経・法華経等は本表のTXTに未収録。",
      "modern_impact": "東アジアの葬送儀礼、美術、語彙に持続的な影響を残している。菩薩理念に基づく社会参加の再解釈は、20世紀以降の「エンゲイジド・ブッディズム」として東南アジア・欧米にも広がった。",
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      "name": "上座部仏教",
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        "テーラワーダ",
        "南伝仏教",
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      "category": "宗教",
      "era_display": "前3世紀（スリランカへの伝来）〜前1世紀（パーリ三蔵の筆写伝承）",
      "era_year": -250,
      "diffusion": "アショーカ王期の伝道を契機にスリランカへ伝わり、大寺（マハーヴィハーラ）系の伝承としてパーリ語三蔵が保持された。11世紀以降ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスの王権と結びついて上座部が地域的に定着し、19〜20世紀には植民地状況下での改革運動と欧米への瞑想実践の紹介を経て国際化した。",
      "adherents_scale": "1億〜10億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年前後の推計で仏教徒総数は約4.9億人。上座部圏（タイ、ミャンマー、スリランカ、カンボジア、ラオス）の各国センサスを合算すると1億5,000万人前後という集計があるが、宗派別の国際統計は整備されていない。中核テキストのパーリ三蔵は本表のTXTに未収録。",
      "modern_impact": "東南アジア大陸部の暦・儀礼・出家制度の基盤であり、政治的正統性の語彙にも関与する。20世紀後半のヴィパッサナー瞑想の国際的普及を通じて、世俗的なマインドフルネス実践の源流の一つとなった。",
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      "name_en": "Sufism",
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        "タサウウフ",
        "イスラーム神秘主義"
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "宗教",
      "era_display": "8〜9世紀（禁欲的実践者の運動）〜12〜13世紀（教団=タリーカの制度化）",
      "era_year": 800,
      "diffusion": "バスラ・バグダードやホラーサーンの禁欲的実践者の圏から始まり、ガザーリーによる法学との調停を経て正統性を得た。12〜13世紀以降はカーディリーヤ、チシュティーヤ、メヴレヴィーなどの教団組織が師弟系譜と修道場を通じて北アフリカ、アナトリア、南アジア、東南アジア、サハラ以南アフリカへ広がり、しばしばイスラーム伝道の実際の担い手となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "教団への帰属は法学派や国籍と重複するため、独立した信徒数の統計が存在しない。Pew Research Center の2012年報告『The World's Muslims』では一部の国で「スーフィー」への自己帰属を尋ねているが、設問が国ごとに異なり合算できない。",
      "modern_impact": "詩・音楽・舞踊の伝統（ルーミー、カッワーリー、旋舞）を通じてイスラーム圏内外に広く受容されている。近代以降は改革主義的潮流から聖者崇敬をめぐる批判を受ける一方、国家による文化資源としての活用も進んでいる。",
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      "category": "宗教",
      "era_display": "4〜5世紀（ローマ司教の首位性の主張）／1054年（東西教会の相互破門）／1545〜1563年（トリエント公会議）",
      "era_year": 1054,
      "diffusion": "ローマ帝国の統治圏で制度化され、中世を通じて西ヨーロッパの司教区・修道会・大学の網の目として定着した。16世紀以降はイベリア両王国とフランスの海外進出に随伴した宣教により、ラテンアメリカ、フィリピン、アフリカ、東アジアへ広がり、19〜20世紀にはヨーロッパからの移民が北米・オセアニアの教会を形成した。",
      "adherents_scale": "10億超",
      "adherents_note": "教皇庁統計年鑑（Annuarium Statisticum Ecclesiae）の2020年代の集計で受洗者は約13億9,000万人。受洗者数は実践頻度を示さず、地域により実際の参与率は大きく異なる。",
      "modern_impact": "ラテンアメリカ、南欧、フィリピン、サハラ以南アフリカの社会制度・教育・医療に広く関与している。生命倫理、移民、環境をめぐる教皇文書は国際的な政策論争の参照点の一つとなっている。",
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      "name": "東方正教",
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        "オーソドックス教会"
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      "category": "宗教",
      "era_display": "4〜8世紀（七つの全地公会議による教義の確定）／1054年（東西教会の相互破門）",
      "era_year": 1054,
      "diffusion": "コンスタンティノープルを中心とする東ローマ帝国圏で制度化され、9世紀以降はキュリロスとメトディオスの伝道と教会スラヴ語の成立によりバルカン半島・ルーシへ広がった。オスマン帝国期にはミッレト制のもとで共同体として存続し、近代には各国の独立教会（アウトケファリー）が国民国家の形成と並行して成立、20世紀の亡命と移民により西欧・南北アメリカにも定着した。",
      "adherents_scale": "1億〜10億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2017年報告『Orthodox Christianity in the 21st Century』で約2億6,000万人と推計。うち約1億人がロシアに集中し、自己申告の帰属と礼拝参与率の乖離が大きいことが同報告で指摘されている。",
      "modern_impact": "東欧・南東欧・ロシア・コーカサスの暦、芸術、国民的自己記述に深く関与している。独立教会の管轄をめぐる問題は、20世紀以降の国家間関係と結びついて論じられることが多い。",
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      "name": "都市",
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      "category": "サピエンス",
      "era_display": "前4千年紀（ウルク期の都市化）。「都市革命」概念の提唱は1950年",
      "era_year": -4000,
      "diffusion": "灌漑農耕による余剰と神殿を核とする再分配を背景に南メソポタミアで大規模な定住が現れ、以後インダス、黄河・長江流域、メソアメリカ、アンデス、ナイル流域でそれぞれ独自の都市形成が起きた。中世以降は地中海・北海の交易都市、イスラーム圏の隊商都市を通じて自治と市場の制度が展開し、19世紀以降は産業化と植民地行政により地球規模で拡大した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "国連『世界都市化予測（World Urbanization Prospects 2018）』では2007年前後に世界人口の過半が都市部居住となり、2050年には約68%と見込まれている。ただしこれは居住人口であって物語への帰属ではなく、都市の定義も国ごとに異なる。ウルク期の都市化年代は層位編年に依存し幅がある。",
      "modern_impact": "匿名性のなかで見知らぬ者どうしが協働できるという想定は、市場、公共圏、市民権の制度設計の前提として働いている。同時に都市と農村の分業と格差は、現代の政治的分断や気候政策の主要な争点であり続けている。",
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      "name": "印刷革命",
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "サピエンス",
      "era_display": "1450年頃（グーテンベルクの金属活字）。前史として11世紀の畢昇の膠泥活字、13世紀の高麗の金属活字",
      "era_year": 1450,
      "diffusion": "マインツから半世紀で西欧の主要都市に印刷所が広がり、俗語出版と書籍市が成立した。検閲・禁書目録・特許（プリヴィレッジ）という統制の制度も同時に生まれ、宣教と植民地行政を通じて南北アメリカ、南アジア、東アジアへ印刷機がもたらされた。東アジアでは木版印刷の厚い蓄積があり、活字の普及経路は西欧と異なる。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "技術と、それがもたらしたとされる社会変動の物語であり、帰属人口の概念が当てはまらない。印刷が宗教改革・科学革命の「原因」といえるかについては、アイゼンステインの因果的主張とダーントン、ジョンズらによる社会史的留保が対立しており、この点で確度をBとした。",
      "modern_impact": "標準化された複製テキストという前提は、著作権、学術的引用、報道の検証手続の基盤として現在も機能している。デジタル媒体への移行を論じる際の比較対象として繰り返し参照される。",
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      "name": "産業革命",
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      "category": "サピエンス",
      "era_display": "1760年代〜1840年代（イギリスにおける第一次）。第二次は1870年代〜1914年",
      "era_year": 1760,
      "diffusion": "イギリスの綿工業・製鉄・蒸気機関から始まり、ベルギー、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国へ技術者と資本の移動を通じて広がった。19世紀後半には日本、ロシアが国家主導の工業化を進め、20世紀後半以降は東アジア、南アジア、ラテンアメリカへ生産拠点が移動した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "社会変動の物語であり帰属人口の概念が当てはまらない。「革命」と呼べるほど不連続だったか、なぜ西欧で先行したか（大分岐論争）については、ポメランツ、アレン、モキイアらの間で説明が分かれており、この点で確度をBとした。",
      "modern_impact": "化石燃料に依存する生産・輸送の体系は現在の気候変動論争の直接の前提であり、人新世の開始時期をめぐる議論の候補の一つとされる。賃労働と工場規律を軸とする時間感覚も、労働法制や働き方の議論の出発点となっている。",
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      "name": "インターネット",
      "name_en": "The Internet",
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        "グローバル・ネットワーク"
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      "category": "サピエンス",
      "era_display": "1969年（ARPANETの接続）／1983年（TCP/IPへの移行）／1989〜1993年（World Wide Web）",
      "era_year": 1969,
      "diffusion": "アメリカ国防高等研究計画局の資金による研究ネットワークとして始まり、大学間接続を経て1990年代に商用化された。CERNで開発されたWWWとブラウザの普及、2000年代のブロードバンドとプラットフォーム企業の成長、2010年代の携帯端末とモバイル回線の普及により、南アジア・アフリカを含む地球規模へ広がった。",
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      "adherents_note": "国際電気通信連合（ITU）の2024年推計で利用者は約55億人（世界人口の約68%）。ただしこれは利用者数であって物語への帰属ではなく、接続の質や利用時間の差を捨象している。ネットワークが自由と分権をもたらすという初期の自己記述と、集中化・監視をめぐる現在の議論は評価が分かれる。",
      "modern_impact": "情報の複製費用をほぼ消滅させ、報道、出版、小売、金融の仲介構造を組み替えた。同時に情報流通の速度と選別の仕組みは、公共的な事実認定の困難をめぐる議論の中心に置かれている。",
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      "name": "インドの建国神話（非暴力と多元主義）",
      "name_en": "Indian Founding Myth (Nonviolence and Pluralism)",
      "aliases": [
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "建国神話",
      "era_display": "1920年代（非協力運動）〜1947年（独立）／1950年（憲法施行）",
      "era_year": 1947,
      "diffusion": "国民会議派の大衆運動を通じて亜大陸全域に広がり、独立後は憲法、教科書、記念日、通貨・紙幣の図像を通じて制度的に再生産された。非暴力抵抗の語彙は、アメリカ公民権運動、南アフリカの反アパルトヘイト運動、東欧の市民運動へ翻訳され、逆にインド国内の自己像を補強する経路も働いた。",
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      "adherents_note": "国民統合の叙述であり信徒数に相当する統計がない。非暴力（アヒンサー）と宗教的多元性を建国の中核とみる叙述に対しては、分離独立時の暴力や、ヒンドゥー的自己規定を重視する立場からの異論が国内に併存しており、単一の合意的物語とはいえない。",
      "modern_impact": "世俗主義と多言語・多宗教の共存を憲法的原則として掲げる枠組みは、現在の市民権・宗教政策をめぐる論争の参照軸であり続けている。非暴力抵抗の技法は各国の社会運動の標準的レパートリーとなった。",
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      "id": "NAR-0071",
      "name": "ドイツ国民の物語",
      "name_en": "The German National Narrative",
      "aliases": [
        "文化国民（Kulturnation）の物語",
        "ドイツ国民意識"
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      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "建国神話",
      "era_display": "1806年（神聖ローマ帝国の解体）〜1871年（ドイツ帝国の成立）／1945年以降の再定位",
      "era_year": 1806,
      "diffusion": "ナポレオン戦争期の反発を契機に、ヘルダー以来の言語・民族精神の議論、フィヒテの講演、グリム兄弟の民話収集と文献学、体操運動や合唱協会といった結社を通じて拡散した。1871年の統一後は学校、徴兵、記念碑によって国家的に制度化され、1945年以降は分断国家の並立、1990年の統一を経て、過去への向き合い方（Vergangenheitsbewältigung）を軸に再構成された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "国民的自己記述であり帰属人口の統計がない。文化・言語を基準とする国民理解（Kulturnation）と、市民的所属を基準とする理解の比重は時期により変動し、2000年の国籍法改正以降は出生地主義的要素が導入されている。",
      "modern_impact": "記憶の文化、憲法パトリオティズム、移民統合政策の議論の枠組みを規定している。ヨーロッパ統合における自己抑制的な役割規定も、この物語の戦後的な再編と結びつけて論じられる。",
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      "id": "NAR-0072",
      "name": "メキシコのメスティサヘ",
      "name_en": "Mexican Mestizaje",
      "aliases": [
        "混血の物語",
        "宇宙的人種（la raza cósmica）"
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      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "建国神話",
      "era_display": "1910〜1920年代（メキシコ革命後の国民統合政策）／1925年（バスコンセロス『宇宙的人種』）",
      "era_year": 1925,
      "diffusion": "革命後の教育省を担ったバスコンセロスのもとで、壁画運動、公教育、博物館、考古学的遺跡の国民的再配置を通じて普及した。先住民の過去を国民の起源に位置づけ、スペイン的要素との融合を国民の定義とする語り方は、他のラテンアメリカ諸国の国民統合の言説にも影響を与えた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "国民的自己記述であり帰属人口の統計がない。融合を掲げる叙述が、現存する先住民言語集団の権利要求を国民統合のなかに解消してきたという批判が、1994年のサパティスタ蜂起以降とくに強く提起されており、評価は分かれている。",
      "modern_impact": "ラテンアメリカにおける人種・国民の語彙の基準点であり続けている。先住民の自治と多文化主義を掲げる1990年代以降の憲法改正は、この物語の見直しとして位置づけられることが多い。",
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    {
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      "name": "儒教的統治論（徳治）",
      "name_en": "Confucian Governance (Rule by Virtue)",
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        "徳治主義",
        "王道政治",
        "礼治"
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "前5世紀（孔子の教説）〜前2世紀（前漢期の官学化）／960年以降（科挙官僚制の確立）",
      "era_year": -500,
      "diffusion": "漢代に官学として制度化され、隋唐以降の科挙と官僚制を通じて統治の標準語彙となった。朝鮮半島では朝鮮王朝の統治理念として徹底され、ベトナムの科挙制、日本の江戸期の藩校・儒学者の政治論にも受容されたが、各地で在地の王権観と結合して異なる形をとった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "統治理念であり信徒数に相当する統計がない。刑罰と法による統治（法家）との対比が強調されることが多いが、実際の王朝統治は両者の混合（外儒内法）であったとする研究が有力であり、純粋な徳治が実施された時期を特定することはできない。",
      "modern_impact": "東アジアの官僚制、教育における選抜、公職者の道徳的資質への期待の語彙に痕跡を残している。20世紀末以降は「アジア的価値」論や政治的能力主義（メリトクラシー）論の文脈で再解釈され、その妥当性をめぐって論争がある。",
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      "name": "イスラーム法治の思想",
      "name_en": "Islamic Legal Governance",
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        "シャリーア統治論",
        "フィクフに基づく統治"
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      "category": "国家思想",
      "era_display": "7〜9世紀（法源論と法学派の成立）／11世紀以降（マーワルディー以降の統治規範論の体系化）",
      "era_year": 750,
      "diffusion": "ウマイヤ朝・アッバース朝下で法学派（ハナフィー、マーリキー、シャーフィイー、ハンバリーおよびジャアファリー）が形成され、カーディー（法官）とワクフ（寄進財）の制度を通じて統治の実務に組み込まれた。オスマン帝国のカーヌーン、ムガル帝国の法制、西アフリカ・東南アジアのスルタン国へ広がり、19世紀以降は法典化と西欧法の継受により身分法を中心とする領域へ再編された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "統治思想であり帰属人口の統計がない。Pew Research Center の2013年報告『The World's Muslims: Religion, Politics and Society』はシャリーアの国法化への支持率を国別に示しているが、シャリーアの語で回答者が想定する内容は国により大きく異なると同報告自身が注記しており、支持率を信奉者規模とみなすことはできない。",
      "modern_impact": "多くのムスリム多数派国で家族法・相続法の基礎として現行法に組み込まれている。イスラーム金融、憲法における法源規定、国際人権規範との調整をめぐる議論の主要な参照枠でもある。",
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      "name": "大東亜共栄圏",
      "name_en": "Greater East Asia Co-Prosperity Sphere",
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      "category": "国家思想",
      "era_display": "1940年（用語の公式使用）／1943年（大東亜会議と大東亜共同宣言）〜1945年",
      "era_year": 1940,
      "diffusion": "明治期以来の興亜論・汎アジア主義の語彙を基盤に、1930年代の東亜協同体論を経て1940年に国策上の標語として定式化された。占領地の行政、放送、学校教育、日本語普及政策を通じて東南アジア・中国占領地域へ広められ、現地の独立運動の一部はこの枠組みを戦術的に利用した。1945年の日本の敗戦とともに国家政策としては終焉した。",
      "adherents_scale": "消滅",
      "adherents_note": "国策上の地域秩序構想であり、帰属人口を測る統計は存在しない。欧米の植民地支配からの解放を掲げる自己記述と、占領地での資源動員・軍政の実態との落差が、日本国内外の歴史研究における中心的な論点となっている。",
      "modern_impact": "東アジアの歴史認識をめぐる国家間の論争、戦後補償と記憶の政治の直接の前提となっている。地域統合構想を論じる際に、対等性の担保をどう設計するかという問いの否定的参照例として言及されることが多い。",
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      "name": "中国的特色ある社会主義",
      "name_en": "Socialism with Chinese Characteristics",
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        "中国の特色ある社会主義",
        "中国特色社会主義"
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "1982年（第12回党大会での提起）／1992年（社会主義市場経済の定式化）／2017年（新時代の位置づけ）",
      "era_year": 1982,
      "diffusion": "党大会報告、憲法および党規約の改正、党学校の教育課程を通じて国内に体系的に配布されている。対外的には開発金融、インフラ建設協力、政党間交流を通じて「発展の途は各国が選ぶ」という定式とともに提示され、一部の途上国の政策議論で参照されている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "中国共産党中央組織部の発表によれば党員数は2023年末で約9,918万人だが、党員数は物語への信奉と同一ではない。市場制度の導入をどこまで社会主義の範囲内とみるかは党内外で解釈が分かれており、また儒教的な統治語彙との連続性を強調する読解は研究者による解釈の一つであって公式の自己記述ではない。",
      "modern_impact": "国家主導の産業政策と市場の併用という組み合わせは、開発モデルをめぐる国際的な比較論の一方の極として参照されている。統治の正統性を選挙手続でなく統治実績と歴史的継承に求める定式は、比較政治学の主要な論点となっている。",
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      "name": "フェミニズム",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "1792年（ウルストンクラフト）／1848年（セネカフォールズ会議）／1949年（『第二の性』）／1960〜70年代（第二波）",
      "era_year": 1792,
      "diffusion": "参政権運動として国際的な組織網を形成し、1945年の国連憲章、1979年の女子差別撤廃条約、1995年の北京会議を通じて国際規範として制度化された。翻訳と留学、国際NGOの回路を通じてラテンアメリカ、南アジア、東アジア、アフリカへ広がり、各地で植民地経験・階級・人種の文脈に応じた再定式化（ブラック・フェミニズム、ポストコロニアル・フェミニズム等）が生じた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "運動・思想への帰属を測る国際的な統計がない。自己をフェミニストと呼ぶかを尋ねた各国世論調査は存在するが、設問と時期が一致せず合算できない。またリベラル系、社会主義系、ラディカル系、交差性を重視する潮流の間で綱領が異なり、単一の物語として括ることには留保が要る。",
      "modern_impact": "参政権、雇用機会、家族法、性暴力に関する法制度の設計に広く反映されている。ケア労働の可視化と評価をめぐる議論は、経済統計や社会保障の設計にも及んでいる。",
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      "name": "環境主義",
      "name_en": "Environmentalism",
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      ],
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "19世紀後半（自然保護運動）／1962年（『沈黙の春』）／1972年（国連人間環境会議）",
      "era_year": 1962,
      "diffusion": "自然保護区と鳥獣保護の運動から出発し、1960年代の公害問題と農薬批判を契機に大衆運動化した。1972年のストックホルム会議以降は国連の枠組み、国際環境NGO、緑の党という三つの回路で制度化され、南側では公害被害・土地収奪への抵抗として異なる系譜（環境正義、貧者の環境主義）を形づくった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "運動への帰属を測る統一的統計がない。環境NGOの会員数や緑の党の得票率は部分的な指標にとどまり、市場手段を重視する潮流と成長批判を掲げる潮流では処方箋が大きく異なるため、単一の物語として集計することが難しい。",
      "modern_impact": "気候変動枠組条約とパリ協定に至る国際交渉の言語を提供し、企業の情報開示や金融規制にも及んでいる。生態系の保全と貧困削減、エネルギー転換の公正さをどう両立させるかが現在の主要な争点である。",
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      "name": "集合的記憶論",
      "name_en": "Collective Memory",
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        "記憶の社会的枠組み論",
        "メモリー・スタディーズ"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "物語論",
      "era_display": "1925年（アルヴァックス『記憶の社会的枠組み』）／1950年（『集合的記憶』）／1980年代以降（記憶研究の制度化）",
      "era_year": 1925,
      "diffusion": "デュルケーム学派の社会学から出発し、戦後はノラの『記憶の場』、アスマン夫妻の文化的記憶論を通じてフランス・ドイツの歴史学へ広がった。1980年代以降はホロコースト、植民地支配、独裁の記憶をめぐる各国の議論と結びつき、記念碑・博物館・教科書・移行期正義の実務を分析する国際的な研究領域となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。記憶を集団の属性として語ることの妥当性（集団は想起しない、想起するのは個人だという批判）は継続的な論点であり、アルヴァックス、ノラ、アスマンの定式の間にも力点の差がある。中核テキストとなるアルヴァックスの著作は本表のTXTに未収録。",
      "modern_impact": "記念日、記念碑、教科書、公的謝罪をめぐる政治を分析する標準的な語彙を提供している。歴史認識問題や移行期正義の実務でも、記憶の制度的編成という観点が広く用いられている。",
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      "name": "オリエンタリズム",
      "name_en": "Orientalism",
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        "サイード的オリエンタリズム"
      ],
      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "物語論",
      "era_display": "1978年（サイード『オリエンタリズム』刊行）",
      "era_year": 1978,
      "diffusion": "フーコーの言説分析とグラムシのヘゲモニー論を方法的枠組みとし、英仏の東洋学・文学・旅行記を対象に「東洋」を語る知の体制を記述した。刊行後は数十言語に翻訳され、ポストコロニアル研究の出発点として文学、人類学、歴史学、地域研究に広がり、東アジア研究、アフリカ研究、内的オリエンタリズム論など対象を変えた応用が生まれた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。ルイスやアーウィンらによる、東洋学の実証的成果を過度に一元化しているという批判があり、サイード自身も後年の版で修正を加えている。この論争は現在も継続している。",
      "modern_impact": "他者を表象する行為に権力関係が伴うという指摘は、報道、博物館の展示、開発援助、観光の実務にまで及ぶ批判的検討の枠組みとなっている。同時に、批判の一般化がかえって地域の実証研究を萎縮させるという反論も提起されている。",
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      "name": "ポストヒューマニズム",
      "name_en": "Posthumanism",
      "aliases": [
        "批判的ポストヒューマニズム",
        "ポストヒューマン理論"
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      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1985年（ハラウェイ「サイボーグ宣言」）／1990年代〜2000年代（理論的定式化）",
      "era_year": 1985,
      "diffusion": "サイバネティクス、フェミニズム科学論、動物研究、科学技術社会論が交差する場で形成され、1985年のハラウェイのテクストと1990年代の文学理論・メディア研究を通じて用語が定着した。2000年代以降は英語圏の人文学からヨーロッパ大陸の哲学、環境人文学、デザイン論へ広がり、大学のカリキュラムと美術批評の語彙に組み込まれている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "理論的潮流であり帰属人口の統計がない。人間の能力拡張を目指すトランスヒューマニズムと、人間中心主義そのものを問う批判的ポストヒューマニズムは、同じ接頭辞を共有しながら方向が異なり、文献でもしばしば混同される。この語義の不安定さのため確度をBとした。",
      "modern_impact": "人格の範囲、動物やAIの道徳的地位、環境をめぐる法と倫理の議論に語彙を提供している。抽象度が高く政策的含意が特定しにくいという批判が、実務側から繰り返し提起されている。",
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    {
      "id": "NAR-0082",
      "name": "データ主権",
      "name_en": "Data Sovereignty",
      "aliases": [
        "データ・ローカライゼーション",
        "先住民データ主権"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2000年代〜2010年代（先住民データ主権とデータ国内保存の主張）／2018年（EU一般データ保護規則の適用開始）",
      "era_year": 2016,
      "diffusion": "「誰がデータを支配するか」という問いは、国家による域内保存の要求、EUの規制枠組みの域外適用、先住民共同体による自己に関するデータの統治要求という、起源の異なる三つの流れが並行して形成した。2010年代後半以降、各国のデータ保護法の連鎖的な制定と国際的なデータ流通交渉を通じて共通の語彙となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "政策・運動の枠組みであり帰属人口の統計がない。国家によるデータの領域的統制と、共同体や個人による自己決定という、しばしば緊張する主張が同じ語で呼ばれており、単一の物語として括ることには留保が要る。",
      "modern_impact": "国際的なデータ移転規則、クラウド調達の要件、研究倫理における先住民データの取り扱い指針に反映されている。自由なデータ流通を前提とした産業モデルとの調整が継続的な争点となっている。",
      "region_ids": [
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    {
      "id": "NAR-0083",
      "name": "トランスヒューマニズム",
      "name_en": "Transhumanism",
      "aliases": [
        "超human主義",
        "H+"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1957年（ジュリアン・ハクスリーによる語の使用）／1990年代（宣言と団体による運動化）",
      "era_year": 1990,
      "diffusion": "進化論的人間観と20世紀の優生思想をめぐる論争を前史として、1980〜90年代の米国と英国で、生命延長、人体拡張、人工知能をめぐる論者が団体と宣言を通じて運動を形成した。2000年代以降はオンラインの論壇、技術系企業の資金、大学の応用倫理研究を経路として拡散している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "運動団体の会員数は公表されるが物語への帰属人口の指標にはならない。想定される技術の実現時期については研究者間の見解の幅が大きく、また能力拡張の推進が20世紀の優生政策とどう区別されるかをめぐる批判に対して、運動内部でも応答が分かれている。",
      "modern_impact": "生命延長研究、脳・機械インターフェース、遺伝子編集をめぐる規範的議論の一方の極を形成している。技術予測としての検証可能性が低いことが、生命倫理の実務からの主要な批判点である。",
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      "name": "サイバーパンク",
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        "ハイテク・ローライフ"
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      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "未来",
      "era_display": "1980年代（1984年『ニューロマンサー』刊行を画期とする）",
      "era_year": 1984,
      "diffusion": "1980年代前半の英語圏SFにおける新世代の作家群が、情報ネットワーク、身体改造、巨大企業による統治という主題を共有する作品を発表し、批評的な呼称として定着した。1980年代の日本の都市景観と産業的存在感が視覚的な参照源となり、映画・アニメーション・ゲームを通じて世界的な図像様式となって、以後の映像文化に再帰的な影響を与えた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "文学・映像のジャンルであり帰属人口の統計がない。作家自身が呼称を否定した例もあり、ジャンルの境界画定には批評上の争いがある。日本を主要な舞台・意匠の源としながら日本人作家の関与は限定的であり、表象と主体の非対称は批判の対象となってきた。",
      "modern_impact": "情報技術と企業権力を語る際の既定の図像と語彙（電脳空間、企業国家、義体）を供給し続けている。技術批評においては、ジャンルの悲観的想像力が現実の政策論議を諦観へ導いたという評価と、早期の警告として機能したという評価が併存する。",
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      "name": "ユートピア文学の系譜",
      "name_en": "The Utopian Literary Tradition",
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        "ユートピアニズム"
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      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "未来",
      "era_display": "1516年（トマス・モア『ユートピア』刊行）。前史としてプラトン『国家』および千年王国的伝承",
      "era_year": 1516,
      "diffusion": "ルネサンス期の人文主義者による架空の島の記述から始まり、17世紀の科学的ユートピア、19世紀の産業社会を主題とする共同体構想、20世紀のフェミニズム・エコロジー的ユートピアへと主題を移しながら継続した。植民地接触の情報が「他所の完全な社会」という形式に素材を供給し、翻訳を通じてヨーロッパ外へも広がった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "文学的系譜であり帰属人口の統計がない。「ユートピア」を理想の提示と読むか、現状を照らし返す風刺装置と読むかで系譜の範囲が変わり、モア自身の意図についても解釈が分かれている。",
      "modern_impact": "政策構想や社会運動が自らの目標を語る際の形式を提供し続けている。20世紀の全体主義経験を経て、完全な社会の設計という発想そのものへの警戒（ポパーらの批判）が定着し、現在は部分的・可逆的な構想として語り直される傾向が強い。",
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      "name": "ディストピア文学の系譜",
      "name_en": "The Dystopian Literary Tradition",
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        "反ユートピア文学",
        "暗黒郷文学"
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      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "未来",
      "era_display": "1920年代〜1940年代（『われら』1924年、『すばらしい新世界』1932年、『1984年』1949年）",
      "era_year": 1924,
      "diffusion": "産業社会の合理化と20世紀前半の一党支配国家の経験を素材として、ユートピアの形式を反転させる作品群が生まれた。冷戦期には東西双方で異なる読み方を伴って流通し、20世紀後半以降は環境破壊、監視技術、生殖技術、パンデミックへと主題を広げ、若年層向け文学と映像を通じて大衆的形式となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "文学的系譜であり帰属人口の統計がない。個々の作品が何を批判の標的としていたかは論争的で、たとえば『1984年』は一党支配体制への批判とも、戦時下の英国を含む官僚制一般への批判とも読まれてきた。",
      "modern_impact": "監視、情報操作、生殖技術をめぐる公共の議論において、参照点となる語彙（ビッグ・ブラザー、新語法）を供給している。一方で、現実の制度分析を作品の比喩に置き換える議論の粗雑化を招くという指摘もある。",
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      "name": "ガイア理論",
      "name_en": "The Gaia Hypothesis",
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        "地球生理学"
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      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1972年（ラヴロックによる最初の提示）／1979年（『地球生命圏』刊行）",
      "era_year": 1972,
      "diffusion": "火星の生命探査計画における大気組成の比較研究から着想され、ラヴロックとマーギュリスの共同作業を経て定式化された。1970〜80年代には環境運動と対抗文化に受容されて地球を一個の生命とみなす表象が広まり、同時に生物学者からの目的論的だという批判を受けて、1990年代以降は「地球システム科学」という検証可能な枠組みへ再定式化された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "科学的仮説であり帰属人口の統計がない。自己調節の存在を主張する弱い形の仮説は地球システム科学に吸収されたが、地球が生物のために環境を最適化するという強い形はドーキンスらの批判以降ほぼ支持されておらず、両者の区別が評価の前提となる。確度は仮説の強い形を含まない範囲での評価。",
      "modern_impact": "地球を相互作用する一つのシステムとして扱う視座は、気候モデル、惑星限界の議論、地球システムガバナンス論に受け継がれている。宗教的・詩的な受容と科学的仮説としての受容が混在し続けている点が、この物語の特徴である。",
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      "name": "人新世",
      "name_en": "The Anthropocene",
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2000年（クルッツェンとストーマーによる提唱）／2009年以降の層序学的検討",
      "era_year": 2000,
      "diffusion": "大気化学と地球システム科学の場で提唱され、国際層序委員会の作業部会による地質年代としての審議を通じて学術的な議論の焦点となった。同時に人文学・美術・ジャーナリズムが時代診断の語として採用し、開始時期を農業の開始、産業革命、20世紀半ばの「大加速」のいずれに置くかという論争とともに広く流通した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学術的な時代区分の提案であり帰属人口の統計がない。2024年に作業部会の提案は正式な地質年代としては承認されず、非公式の概念としての使用が続いている。「人類」を一様な主体として名指すことが責任の所在を曖昧にするという批判から、資本新世・農園新世などの対案も提出されている。",
      "modern_impact": "気候変動と生物多様性喪失を単一の時代診断として語る枠組みを提供し、環境政策、教育課程、美術館の展示に浸透した。責任の主体をどの単位（人類・国家・産業・階級）で設定するかという問いを、科学的命名の問題として可視化した点に固有の効果がある。",
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      "name": "マルチスピーシーズの思想",
      "name_en": "Multispecies Thought",
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        "種を越える人類学",
        "種間の絡まり合い"
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      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "2000年代後半〜2010年代（マルチスピーシーズ民族誌の成立）",
      "era_year": 2010,
      "diffusion": "科学技術社会論、動物研究、環境人文学、微生物共生の研究が交差する場で形成され、2010年前後の人類学の特集号と学会の分科会を通じて分野として可視化された。菌類・作物・家畜・微生物叢を人間社会の共同的な参加者として記述する手法が、環境史、フードスタディーズ、先住民研究へ広がっている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "研究上の潮流であり帰属人口の統計がない。人間以外の存在の「行為主体性」をどこまで記述に持ち込めるかについては、方法論的な批判（擬人化と説明力の低下）が継続しており、分野内でも立場が分かれている。",
      "modern_impact": "生物多様性保全、動物福祉、都市計画における非人間の位置づけを論じる語彙として使われている。先住民の存在論を参照する記述が多く、その参照が適切な帰属を伴っているかという研究倫理上の問いも提起されている。",
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      "name": "宇宙移住の物語",
      "name_en": "Narratives of Space Settlement",
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        "宇宙植民",
        "スペース・コロナイゼーション"
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      "category": "未来",
      "era_display": "1903年（ツィオルコフスキーの宇宙飛行理論）／1970年代（オニールの宇宙居住島構想）",
      "era_year": 1903,
      "diffusion": "ロシアの宇宙主義（フョードロフ、ツィオルコフスキー）における人類の宇宙的使命という宗教的・哲学的主題と、米国の技術的フロンティア観が、20世紀の宇宙開発競争のなかで合流した。1970年代のオニール型居住構想とSFを通じて大衆化し、2000年代以降は民間宇宙企業の企業理念と資金調達の語りとして再流通している。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "将来構想であり帰属人口の統計がない。移住の技術的・生理学的な実現可能性については、放射線防護と閉鎖生態系の課題をめぐって専門家の評価の幅が大きい。西部開拓の語彙を宇宙に転用する語り方は、先住民の経験を踏まえた批判を受けてきた。",
      "modern_impact": "宇宙機関の長期計画と民間企業の事業構想に目的の語彙を提供している。地球環境の劣化に対する応答として宇宙移住を位置づける議論は、地球上の対策から資源と注意を逸らすという批判と、文明の存続可能性を高めるという主張の間で争われている。",
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      "name": "地球外文明論（フェルミのパラドックス）",
      "name_en": "Extraterrestrial Civilizations and the Fermi Paradox",
      "aliases": [
        "SETI",
        "大いなる沈黙",
        "グレート・フィルター"
      ],
      "confidence": "B",
      "confidence_label": "有力だが異説あり",
      "category": "未来",
      "era_display": "1950年（フェルミの問い）／1961年（ドレイク方程式の提示）",
      "era_year": 1961,
      "diffusion": "電波天文学の成立とともに、他の文明からの信号探査（SETI）が観測計画として制度化され、ドレイク方程式が議論の共通形式を与えた。「宇宙が広大なら、なぜ何も見えないのか」という問いは、天文学から進化生物学、経済学、リスク研究へと持ち出され、系外惑星の大量発見（1995年以降）によって定量的な議論の基盤が更新された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "観測計画と思弁的議論の複合であり帰属人口の統計がない。ドレイク方程式の後半の項（生命・知性・文明持続時間の確率）には経験的な制約がほとんどなく、結論は前提の置き方に強く依存する。この認識論的制約は分野内で広く共有されている。",
      "modern_impact": "系外惑星探査とバイオシグネチャー研究の動機づけとなり、地球外知性への発信（METI）の是非をめぐる国際的な議論を生んでいる。「文明は自壊するのか」という定式化を通じて、実存的リスクの議論に長期的な時間尺度を持ち込んだ。",
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    {
      "id": "NAR-0092",
      "name": "宇宙条約と宇宙法の思想",
      "name_en": "The Outer Space Treaty and the Idea of Space Law",
      "aliases": [
        "宇宙法",
        "人類の共同財産としての宇宙"
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      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "未来",
      "era_display": "1967年（宇宙条約発効）／1979年（月協定、批准国は少数）",
      "era_year": 1967,
      "diffusion": "1957年以降の宇宙開発競争のなかで、国連宇宙空間平和利用委員会を場として、米ソ両国が軍事的エスカレーションを抑制する共通利益を見いだして条約が成立した。天体の領有禁止、全人類の利益という原則は、公海と南極条約の先例を宇宙へ翻案したものであり、以後の宇宙関連条約と各国の国内宇宙法の基礎となった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "条約体制であり帰属人口の統計がない。批准国数（宇宙条約は110か国超）は制度の広がりを示すが物語の支持規模ではない。領有の禁止が民間による資源の採取・所有まで及ぶかについては、2015年以降の各国国内法と2020年のアルテミス合意をめぐり解釈が分かれており、現在進行形の争点である。",
      "modern_impact": "衛星の運用、デブリ、月・小惑星資源の利用をめぐる規範の出発点であり続けている。参加国が少数の政府に限られていた時代に作られた枠組みを、民間主体と新興宇宙国が増えた現在にどう適用するかが、制度設計上の主要な課題となっている。",
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    {
      "id": "NAR-0093",
      "name": "シク教",
      "name_en": "Sikhism",
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        "シク教徒の信仰",
        "パンス（道）"
      ],
      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "宗教",
      "era_display": "15世紀末〜16世紀初頭（グル・ナーナク、1469〜1539年）／1699年（カールサーの創設）",
      "era_year": 1499,
      "diffusion": "北インドのパンジャーブ地方で、グル・ナーナクに始まる十人のグルの系譜を通じて共同体が形成され、聖典の編纂（1604年）とグルの権威の聖典への移行（1708年）によって制度化された。19〜20世紀には英領インドの軍務と労働移民を経路として東アフリカ、東南アジア、英国、カナダ、米国に定着し、グルドワーラーを核とする移民共同体を各地に形成した。",
      "adherents_scale": "1,000万〜1億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2010年推計およびインド国勢調査（2011年）で約2,500万人。信徒の大半はインドのパンジャーブ州に居住し、次いで英国・カナダ・米国に大きな共同体がある。",
      "modern_impact": "パンジャーブ地方の社会構造と政治に中心的な位置を占め、1980年代の政治的対立と1984年の事件をめぐる記憶は現在も係争的である。ターバンと不剪髪をめぐる各国の服装規則・安全規則との調整は、宗教的自由の判例を通じて議論されてきた。",
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      "name": "ジャイナ教",
      "name_en": "Jainism",
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        "ジナ教",
        "耆那教"
      ],
      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "宗教",
      "era_display": "前6世紀〜前5世紀（マハーヴィーラの活動）。伝承では24人のティールタンカラの系譜に遡る",
      "era_year": -500,
      "diffusion": "ガンジス平原の沙門（シュラマナ）運動のなかで教団として成立し、前後の時代に西インド（グジャラート、ラージャスターン）と南インド（カルナータカ）へ広がった。商業に従事する在家層の支援によって寺院と写本の伝統が維持され、19世紀以降は移民を通じて英国・北米にも共同体が形成された。",
      "adherents_scale": "100万〜1,000万",
      "adherents_note": "インド国勢調査（2011年）で約445万人、国外を含めて約500万人前後とされる。人口規模に比して識字率と経済的資源の集中が高く、社会的影響力は人口比を上回るとしばしば指摘される。",
      "modern_impact": "不殺生（アヒンサー）の徹底した実践は、菜食主義、動物保護、非暴力の思想に持続的な影響を与えている。多面的観点（アネーカーンタヴァーダ）は、真理の部分性を説く思想として現代の多元主義の議論でも参照される。",
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      "name": "シーア派",
      "name_en": "Shia Islam",
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        "アリーの党派"
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      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "宗教",
      "era_display": "632年（預言者没後の後継をめぐる分岐）／680年（カルバラーの戦い）／8〜10世紀の法学・神学の体系化",
      "era_year": 632,
      "diffusion": "共同体の指導権が預言者の家系（アリーとその子孫）に属するという理解を軸に、イラク南部を主要な形成の場として法学と神学が体系化された。16世紀のサファヴィー朝によるイランでの国教化が分布を決定づけ、以後イラク、レバノン、湾岸諸国、南アジアの共同体へと巡礼・学統・移民の経路で結ばれている。",
      "adherents_scale": "1億〜10億",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2009年推計でムスリム全体の10〜13%、約1億5,000万〜2億人。イラン、アゼルバイジャン、イラク、バーレーンで多数派を占める。十二イマーム派、イスマーイール派、ザイド派など内部の分岐が大きく、単一の集計には幅がある。",
      "modern_impact": "イランの1979年以降の統治体制における法学者の権威をめぐる議論、イラクとレバノンの政治構造、湾岸地域の地域間関係に関わっている。カルバラーの記憶を核とする追悼儀礼は、宗教的実践であると同時に、抑圧への抵抗の語彙としても用いられてきた。",
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      "category": "宗教",
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      "era_year": 632,
      "diffusion": "共同体の合意と預言者の慣行（スンナ）を権威の基礎とする理解が、ハディース収集と四つの法学派（ハナフィー、マーリキー、シャーフィイー、ハンバル）の形成を通じて体系化された。ウマイヤ朝・アッバース朝の統治機構、後代のオスマン朝・ムガル朝の後援、そして交易路とスーフィー教団の活動により、西アジアから北アフリカ、南アジア、東南アジア、サハラ以南アフリカへ広がった。",
      "adherents_scale": "10億超",
      "adherents_note": "Pew Research Center の2009年推計でムスリム全体の87〜90%、約15億〜17億人。地域ごとに支配的な法学派が異なり、神学・法学の内部的多様性は大きい。",
      "modern_impact": "各国の家族法、金融、教育制度の制度設計に法学の伝統が接続している。18世紀以降の改革運動と20世紀の思想潮流をめぐる内部の論争が、現代の宗教と政治の関係をめぐる議論の主要な場となっている。",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "988年（ルーシの受洗）／16世紀初頭（修道士フィロフェイの書簡における「第三のローマ」）",
      "era_year": 1510,
      "diffusion": "キエフ・ルーシのキリスト教受容を起点とし、1453年のコンスタンティノープル陥落後に、正統信仰の守護者の地位がモスクワに移ったとする語りが修道院の書簡と年代記を通じて形成された。18〜19世紀の帝国的自己意識、スラヴ派の議論、20世紀の亡命知識人によるユーラシア論を経て再解釈され、ソ連崩壊後には国家的自己記述の素材として再び前景化した。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "国民的自己記述であり帰属人口の統計がない。「第三のローマ」の定式が16世紀当時にどれほどの政治的重みを持ったかについては、後世の国家イデオロギーが遡及的に拡大解釈したとする研究（シニツィナら）が有力で、確度をBとした。キエフ・ルーシを起源とする語りは、ロシア・ウクライナ・ベラルーシの各国史でそれぞれ異なる形で継承されており、係争的である。",
      "modern_impact": "正統信仰と国家の結びつき、西欧とは異なる文明としての自己規定という主題は、現代ロシアの公的言説と対外政策の説明枠組みに繰り返し現れる。同時に、同じキエフ・ルーシの遺産をめぐって複数の国民史が競合しており、この競合自体が地域の政治的争点となっている。",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "1930年代（フレイレ『大邸宅と奴隷小屋』1933年）／1950年代以降の批判的検証",
      "era_year": 1933,
      "diffusion": "奴隷制廃止（1888年）後の国民統合の課題に対し、ポルトガル系・先住民・アフリカ系の混淆を国民の特質とみなす叙述が、ヴァルガス期の文化政策、教育、カーニヴァルやサッカーの国民的表象を通じて広まった。ラテンアメリカ各国の混血言説と共鳴し、対外的にはアメリカ合衆国の人種隔離との対比において自国像として提示された。",
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      "adherents_note": "国民的自己記述であり帰属人口の統計がない。1950年代のユネスコ人種関係調査、およびフロレスタン・フェルナンデスらの研究以降、「人種民主主義」は現実の記述ではなく不平等を不可視化する神話であるという批判が学術的に優勢となった。他方で、この語りが人種の境界を固定化しない社会編成を可能にした面を指摘する研究もあり、評価は完全には一致していない。",
      "modern_impact": "所得・教育・警察暴力に関する統計上の人種間格差が明らかにされ、2000年代以降は大学入学枠などの積極的差別是正措置が導入された。制度導入の過程では、人種を公式のカテゴリーとして用いること自体がこの物語との緊張を生み、社会的論争となった。",
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      "name": "シンガポールの多民族国家の物語",
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      "category": "建国神話",
      "era_display": "1965年（マレーシアからの分離独立）／1960〜70年代の多人種主義の制度化／1991年（共通価値観白書）",
      "era_year": 1965,
      "diffusion": "分離独立時の脆弱性の認識を出発点として、四つの公用語、人種別カテゴリー（華人・マレー系・インド系・その他）に基づく行政、公営住宅の民族別割当、国民奉仕といった制度を通じて、日常的に反復される国民の物語として定着した。この統治モデルは、多民族社会の秩序形成の参照例として他の国家からも研究されてきた。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "国民的自己記述であり帰属人口の統計がない。人種を公式カテゴリーとして固定する設計が、集団間の平穏を確保した制度的成果として評価される一方、混血や少数言語話者の経験を制度上不可視にし、カテゴリー自体を再生産しているという学術的批判もあり、評価は分かれる。",
      "modern_impact": "住宅・教育・言語政策の設計原理として現在も作動しており、宗教的調和の維持を目的とする法制度と結びついている。多文化主義を集団の自律に委ねる欧州型モデルと、国家が均衡を管理するこのモデルの比較は、多民族統治をめぐる国際的な議論の主要な論点である。",
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      "name": "植民地主義",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "15世紀末〜（大西洋世界の形成）／19世紀後半〜20世紀初頭（新帝国主義期の体系化）",
      "era_year": 1492,
      "diffusion": "イベリア諸国による大西洋・インド洋進出に始まり、オランダ・英国・フランスの特許会社による交易拠点の獲得、プランテーションと奴隷貿易、19世紀後半のアフリカ・アジアの分割へと形態を変えながら展開した。統治の正当化は、宣教、文明化の使命、科学的人種論、経済的必要という時代ごとに異なる語彙で行われ、被支配地域の法・教育・言語・境界線に持続的な制度的痕跡を残した。",
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      "adherents_note": "支配の体制であり信奉者の統計がない。政治的支配の形態としては1960〜70年代の脱植民地化でほぼ解体したが、正当化の語り（発展段階、文明化）の残存や経済構造の連続性をどこまで「植民地主義の継続」と呼ぶかについては、新植民地主義論をめぐる立場の相違がある。",
      "modern_impact": "現在の国境線、公用語、法体系、経済的な分業構造の多くがこの時期に形成された。歴史的責任、賠償、文化財の返還、教育課程における記述をめぐる議論は、旧宗主国と旧植民地の双方で現在進行形の政治的争点である。",
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      "name": "反植民地主義・脱植民地化",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "19世紀後半〜（初期の抵抗と改革運動）／1945〜1975年（脱植民地化の加速）／1955年（バンドン会議）",
      "era_year": 1955,
      "diffusion": "各地の武装抵抗と改革運動を前史として、両大戦とロシア革命が帝国の正当性を動揺させ、宗主国で教育を受けた知識人層のネットワーク、汎アフリカ会議、共産主義インターナショナル、そして1945年以降の国際連合の場が思想と戦略の交換路となった。1955年のバンドン会議と非同盟運動は、独立の要求を国際秩序の再編の言語へと翻訳した。",
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      "adherents_note": "運動の総体であり帰属人口の統計がない。武装闘争を経た解放と交渉による独立、社会主義的路線と自由主義的路線など、内部の戦略と目標の差は大きく、単一の綱領をもつ運動ではない。ファノンにおける暴力の位置づけは、運動内部でも当初から論争的であった。",
      "modern_impact": "国民国家を単位とする現在の国際秩序と、国連における多数派の構成はこの過程の産物である。政治的独立の後にも残る経済的従属と、独立時の国境線が抱えた課題は、開発論と紛争研究の中心的な主題であり続けている。",
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      "name": "新自由主義",
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      "category": "近代イデオロギー",
      "era_display": "1938年（ウォルター・リップマン・シンポジウム）／1947年（モンペルラン協会の設立）／1970〜80年代の政策的実施",
      "era_year": 1947,
      "diffusion": "1930年代の欧州で、古典的自由主義の再定義を目指す学者の会合から出発し、モンペルラン協会、シカゴ学派、オーストリア学派、ドイツの秩序自由主義といった複数の系譜として制度化された。シンクタンクと国際金融機関を経路として、1970年代のインフレと成長鈍化を背景に政策的採用が進み、1980年代以降は英米の政策転換、構造調整プログラム、体制移行国の改革を通じて広範に適用された。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "政策潮流であり帰属人口の統計がない。「新自由主義」は多くの場合、支持者ではなく批判者が用いる名称であり、当事者は古典的自由主義者、秩序自由主義者、リバタリアンなど異なる自己記述を用いる。この名称の非対称性のため範囲の確定に幅があり、確度をBとした。",
      "modern_impact": "規制緩和、民営化、独立した中央銀行、資本移動の自由化といった制度は多くの国で定着した。2008年の金融危機以降、産業政策の復権と経済安全保障の議論のなかでこの枠組みの見直しが進んでおり、市場と国家の境界をめぐる論争は再び開かれている。",
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      "name": "ポストコロニアル理論",
      "name_en": "Postcolonial Theory",
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      "category": "物語論",
      "era_display": "1978年（サイード『オリエンタリズム』）／1980〜90年代（サバルタン研究、バーバ、スピヴァク）",
      "era_year": 1985,
      "diffusion": "ファノンら反植民地主義の思想家のテクストを、フーコーの言説分析、デリダの脱構築、グラムシのヘゲモニー論と接合することで、英語圏の文学部を主要な制度的基盤として形成された。インドのサバルタン研究集団、カリブ海のクレオール化論、ラテンアメリカのデコロニアル論といった地域的な系譜と相互に翻訳されながら、歴史学、人類学、美術史、国際関係論へ広がった。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学術的潮流であり帰属人口の統計がない。理論の主要な担い手が旧宗主国と北米の大学に位置することの構造的な意味、および難解な文体が対象とする人々から理論を切り離しているという批判（アフマド、ダーリク）は、分野内で継続的に議論されている。",
      "modern_impact": "文学・歴史記述における表象の権力を分析する枠組みとして定着し、博物館の展示、大学のカリキュラム、開発援助の実務にも及んでいる。デコロナイズという語の一般化に伴い、制度改革の標語としての使用と理論的な厳密さのあいだに乖離が生じているという指摘もある。",
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      "name": "ミーム論",
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        "文化的複製子論"
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      "confidence": "B",
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      "category": "物語論",
      "era_display": "1976年（ドーキンス『利己的な遺伝子』での「ミーム」の提唱）／1990年代（ミーム学の分野化の試み）",
      "era_year": 1976,
      "diffusion": "進化論の複製子・選択の枠組みを文化の伝達に適用する着想として提示され、1990年代にデネット、ブラックモアらによって理論化され、専門誌の創刊を伴う分野化が試みられた。2000年代以降は学術分野としては後退したが、「ミーム」という語自体はインターネット上の模倣的表現を指す一般語として独立に定着し、計算社会科学における情報伝播研究に部分的に引き継がれている。",
      "adherents_scale": "測定不能",
      "adherents_note": "学説であり帰属人口の統計がない。複製単位としてのミームを同定・計測できるかという方法論的批判が決定的で、専門誌は2005年に終刊した。学術理論としてのミーム学と、ネット文化の記述語としての「ミーム」は区別が必要であり、確度をBとした。",
      "modern_impact": "文化の伝播を選択と変異のモデルで扱う発想は、文化進化論、情報疫学、オンラインの情報拡散研究に受け継がれている。同時に、思想の広がりを「感染」として語る比喩が、内容の妥当性の検討を伝播のメカニズムの説明に置き換えてしまうという批判もある。",
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      "id": "NAR-0105",
      "name": "アテナイの民主政",
      "name_en": "Athenian Democracy",
      "aliases": [
        "古代ギリシアの民主政",
        "直接民主政",
        "デモクラティア"
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      "confidence": "A",
      "confidence_label": "学術的定説",
      "category": "国家思想",
      "era_display": "前508年〜前507年（クレイステネスの改革）〜前322年（マケドニアによる終焉）",
      "era_year": -508,
      "diffusion": "前508年のクレイステネスによる部族再編を起点に、民会・五百人評議会・民衆法廷と抽選制の官職という制度群としてアッティカに定着し、デロス同盟を通じてエーゲ海の従属諸市にも部分的に移植された。前322年のラミア戦争敗北で制度としては終息し、以後は同時代の批判者（トゥキュディデス、プラトン、アリストテレス）の記述を通じて文献としてのみ伝わった。ルネサンス期以降のギリシア語文献の再発見と18〜19世紀の古典学によって近代に再解釈され、近代の代議制民主主義が自らの古代的起源として引用する対象となった。",
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      "adherents_note": "制度としては前322年に終息しており現存の信奉者はいない。市民権保有者は最盛期のアッティカでおよそ3万人〜6万人と推計され、女性・在留外人・奴隷を含む総人口の一部にとどまる（M.H.ハンセンの推計。史料の性質上、推計値の幅は大きい）。",
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