資本主義——無限成長という物語
市場も、貨幣も、利潤の追求も、資本主義より数千年古い。前1千年紀の地中海の交易者は利鞘を計算していたし、宋代の中国には手形と信用の精緻な網があった。それでも、これらを資本主義と呼ぶ研究者は多くない。何かが足りないと考えられているからである。
結論を先に置く。資本主義に固有なのは、市場でも貨幣でも利潤でもない。蓄積が終点を持たない運動として制度化されたこと、そしてその運動を担う器——譲渡可能な所有権、構成員の交代を超えて存続する会社、売買される労働力——が法によって整えられたことである。この組み合わせが成立したとき、経済活動は「必要を満たしたら終わる」という構造から離れた。終わらない運動は、拡大し続ける対象を要求する。無限成長(CON-0010)という想定は、その要求が観念の形をとったものである。有限な惑星の上でこの想定がどこまで維持できるのかが、現在の論争の中心にある。
- 資本主義の起源をいつに置くかは決着していない。北イタリアと低地地方の商業・金融の慣行に見る説、イングランドの農業経営の変容に見る説、18世紀後半の産業化に見る説、大西洋の植民地体制と不可分とみる説が並立しており、諸説ある
- プロテスタンティズム(NAR-0034)の禁欲的倫理に起源を求めるウェーバー・テーゼは、この主題でもっとも広く知られた説明だが、経済史の実証研究からは有力な反証が提出されており、因果命題としての支持は現在強くない
- 現在の分岐は、成長そのものを目標から外す脱成長(NAR-0056)、技術による環境負荷の切り離しに賭けるエコモダニズム(NAR-0057)、技術的近代化の徹底に活路を求める加速主義(NAR-0058)という3つの方向に整理できる。いずれも同じ有限性の認識から出発している
本記事は、この体制の是非を論じない。断罪する立場にも擁護する立場にも与さず、どのような部品がどう組み合わさって現在の形になったかを記述する。特定の企業や政策への評価、将来の経済動向についての見通しには立ち入らない。また貨幣そのものの起源と機能は別稿(NAR-0005)で扱ったため繰り返さず、貨幣が資本へ転じた後の論点——蓄積、所有、企業、労働、成長——に絞る。
1. 市場と資本主義を分ける線
歴史家フェルナン・ブローデルは、経済を3つの層に分けて記述した。最下層は自給と近隣の交換からなる物質生活、中間層は価格が公然と形成される市場経済、そして最上層に資本主義がある。特徴的なのは、資本主義を市場の完成形ではなく、市場の透明性から逃れる層として描いた点である。日々の市が誰にでも価格の見える競争の場であるのに対し、遠隔地交易、大口の金融、独占的な特権は、情報と資本を集中させた少数の手に握られる。ブローデルはこれを「反市場」と呼んだ。市場の存在と資本主義を同一視しない視点は、以後の研究に広く共有されている。
もう1つの分割線は、カール・マルクス(THK-0005)が『資本論』(TXT-0029、1867年)で示した運動の形式である。商品を売って貨幣を得て別の商品を買う交換は、消費という終点を持つ。これに対し、貨幣を投じて商品を経由し、より多くの貨幣を回収する運動には終点がない。回収された貨幣は再び投じられ、同じ形の運動を繰り返す。この形式には「十分」が定義されていない。マルクスはこの無限性を資本の本質とみなした。
重要なのは、この形式が個人の欲深さの問題ではないという点である。競争のもとに置かれた事業体は、再投資を怠れば費用構造で劣位に立つ。蓄積は選択というより、その場に留まるための条件になる。個々の経営者が節度を持つかどうかと、体系が拡大を要求するかどうかは、別の水準の問題である。
第3の分割線は、何が売買の対象になるかである。カール・ポランニーが『大転換』(1944年)で論じたように、労働・土地・貨幣は本来、売るために生産されたものではない。これらを商品として扱う擬制が成立したとき、市場は社会に埋め込まれた1つの制度であることをやめ、社会のほうが市場に合わせて組み替えられる関係へ反転した。この論点は、後段の所有と労働の節に直結する。
2. いつ始まったのか——起源をめぐる諸説
資本主義の開始時期については、複数の有力な学説が並立しており、どれか1つが証明されたという状態にはない。
商業資本主義説は、13世紀以降の北イタリア諸都市と低地地方に焦点を置く。複式簿記、為替、海上保険、合資の慣行がこの地域で整備され、アントウェルペンとアムステルダムを経てロンドンへ移った。ブローデルはこの系譜を重視し、「長い16世紀」を近代資本主義の形成期とみた。イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論も同じ時期を起点とし、中核・半周辺・周辺という国際的な分業の階層が、この時期に単一の体系として編成されたと論じた。なお、アダム・スミス(THK-0019)の『国富論』(TXT-0007、1776年)は資本主義という語を用いていない。この語が定着するのは19世紀後半であり、当初は主として批判する側の語彙であった。
農業資本主義説は、イングランドの土地関係に注目する。歴史家ロバート・ブレナーが1976年に提示した議論は、大陸との比較から出発している。フランスでは農民が小規模保有を維持したのに対し、イングランドでは領主・借地農・賃労働者という3層の構造が成立し、借地農は競争的な地代の下で生産性を上げざるをえなくなった。この圧力が農業の商業化と、土地を離れた労働力の形成を同時に進めた、とする説明である。ブレナー論争と呼ばれるこの議論は、人口動態や交易の拡大を重視する立場との間で長く続いている。
産業資本主義説は、区切りを18世紀後半の機械化と工場制に置く。この立場では、それ以前の商人の富の蓄積は資本主義とは呼ばれず、生産過程そのものが資本の管理下に入ったことが決定的とされる。
第4の系譜は、大西洋の植民地体制(NAR-0100)を構成要素として組み込む説明である。砂糖・綿花・銀の交易網、強制労働、土地の収奪を、周縁の付随的な出来事ではなく体制の一部とみなす立場であり、マルクスが「本源的蓄積」と呼んだ過程——生産手段からの生産者の分離を伴う暴力的な集中——の記述も、この文脈で繰り返し参照される。
これらは排他的ではない。北イタリアの金融技術、イングランドの土地関係、大西洋の交易網、蒸気機関は、いずれも欠ければ現在の形にならなかった条件である。本DBが NAR-0018 の代表年を17世紀初頭に置くのは、常設の資本市場と株式会社形態という制度的な結節点をひとまずの基準としたためであり、他の起点を否定するものではない。
3. ウェーバー・テーゼとその反証
起源説のうち、専門領域の外へもっとも広く流通したのはマックス・ウェーバー(THK-0022)の議論である。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(TXT-0017、1904年から1905年に初出)で提示された筋は次のようなものだった。カルヴァン派の予定説のもとでは、救済されるかどうかは神の決定であり、人間の行為で変更できない。この耐えがたい不確実性に対して、信徒は救済の確証を求めた。世俗の職業を神から与えられた召命とみなし、そこで体系的に働き、成功を確証の徴とし、享楽的な消費を禁欲によって退ける——結果として利潤は消費されずに再投資される。宗教的な動機から出発した行動様式が、意図せざる帰結として資本蓄積に適合した心性を生んだ、という論理である。ウェーバーはさらに、この心性が宗教的な裏づけを失った後も規律として残ると書いた。
このテーゼが専門領域を越えて流通したのは、経済的な現象を経済の外側の要因で説明する構図の鮮やかさと、「意図せざる帰結」という論理の型が、社会科学の模範例として扱われやすかったことが大きい。
しかし、経済史の側からの反証は当初から提出されてきた。第1に、時期と地域の不整合である。ブローデルが指摘したように、複式簿記も為替も合資も独占的な大商会も、宗教改革以前のカトリック圏——ヴェネツィア、ジェノヴァ、フィレンツェ——ですでに高度に発達していた。16世紀の南ドイツで銀と銅の鉱山と国際金融を握ったフッガー家はカトリックであり、教皇庁の資金を扱っていた。H・M・ロバートソンは1933年に、イエズス会の決疑論が商業実務に許容的な倫理を供給していたことを示し、禁欲的プロテスタンティズムの独占性を否定した。
第2に、因果の方向についての疑義である。R・H・トーニーは『宗教と資本主義の興隆』(1926年)で、宗教思想が経済を変えたというより、商業の発展が宗教思想の解釈を変えた側面を強調した。教義の側が、すでに進行していた経済的実践に事後的に適応したという読み方である。
第3に、計量的な検証である。サッシャ・ベッカーとルートガー・ヴェスマンは2009年に、19世紀プロイセンの郡単位のデータを用い、プロテスタント地域の経済的優位は識字率——聖書を各自が読むべきだという教説がもたらした人的資本——でほぼ説明でき、労働倫理という要因を追加する必要がないと論じた。ダーヴィデ・カントーニは2015年に、神聖ローマ帝国の272都市の1300年から1900年までの人口成長を比較し、プロテスタンティズムの採用が成長率に有意な差をもたらさなかったと報告している。
現在の整理は、おおむね次のようになる。ウェーバー・テーゼは、資本主義の発生を説明する因果命題としては支持が弱い。他方、経済行動が文化的・宗教的な条件づけを受けるという問題設定そのものは、依然として生産的である。ウェーバー自身、この論考の末尾で、文化の唯物論的解釈を唯心論的解釈に置き換える意図はないと明示的に留保していた。テーゼの受容史は、留保つきの仮説が留保を落として流通する過程の標本でもある。
なお本DBでは、この学説を NAR-0034 から NAR-0018 への派生として記録しているが、確度はBであり、反証側の文献が根拠欄に併記されている。エッジの存在は、その因果が成立したことの認定ではない。
4. 器としての所有と会社
蓄積の運動は、それ自体では制度にならない。運動を保持し、世代を超えて継続させる器が要る。近代が用意した器は2つ、排他的な所有権と会社(NAR-0043)である。
所有の側から見ると、決定的だったのは、重層的な用益の権利が単一の排他的な権利へ整理されたことである。中世ヨーロッパの土地には、領主の権利、保有農の権利、共同体の入会の権利が同時に成立しており、放牧、落穂拾い、薪の採取といった慣行的な利用がコモンズ(CON-0053)と呼ばれる領域を形づくっていた。イングランドの囲い込みは、16世紀以降、そして18世紀から19世紀の議会立法によって、この重層を解体し、境界と単一の所有者を持つ区画へ再編した。生産性への効果の評価は分かれるが、構造上の帰結は明瞭である。土地は売買と担保の対象になり、慣行的な利用に依存していた層は賃労働へ向かった。
コモンズの解体を必然とみなす説明には反論がある。エリノア・オストロムは、灌漑、漁場、森林の実例を集め、共同体が自ら規則と監視と紛争処理の仕組みを作り、長期にわたって共有資源を維持してきた事例が広く存在することを示した。共有は必ず荒廃を招くという前提は、経験的に一般化できない。
会社の側から見ると、鍵は法人格(CON-0013)である。団体それ自体を権利義務の主体として扱う法理は、中世の都市・大学・修道会に適用された教会法と法学のなかで整備され(NAR-0042)、勅許会社を経て近代の会社法に継承された。1602年に設立されたオランダ東インド会社は、譲渡可能な株式と、出資者の交代を超えて存続する資本を備えていた。ただし、この種の勅許会社は交戦、条約締結、徴税といった主権的な権能を伴っており、現代の企業と同一線上に置くことには留保が要る。
一般化を可能にしたのは19世紀である。イギリスの1855年有限責任法と1862年会社法により、特許状なしに登記だけで会社を設立でき、出資者の責任が出資額に限定される形式が普及した。有限責任は、失敗の費用に上限を設ける装置である。上限があるからこそ、見込みの不確かな事業にも資金が集まる。リスク(CON-0051)を計算可能な形式に変換し、分散し、引き受けさせる技術の中核がここにある。同時にこの装置は、責任の及ぶ範囲を切断する。損害が出資額を超えたとき誰がそれを負担するのかという問いは、環境や人権をめぐる現代の論争で繰り返し提起されており、法人という擬制の輪郭をどこに引くかは決着していない。
5. 労働という編成
資本の運動が成立するには、売買できる労働力が必要になる。労働(CON-0039)が商品として扱われるという事態は、歴史的には自明ではなかった。多くの社会で、働くことは身分、家族、共同体の義務と一体であり、時間単位で切り売りされる対象ではなかった。
この転換を、E・P・トンプソンは時間感覚の側から記述した。仕事の量と自然の周期に合わせて働く「課業志向」の時間から、時計で計測され賃金と交換される抽象的な時間への移行である。工場の鐘、遅刻の罰金、労働時間の法的規制をめぐる争いは、この転換が抵抗と交渉を伴ったことを示している。
マルクスはこの編成の帰結を疎外(CON-0025)という語で捉えた。労働者は自らの生産物から切り離され、労働の過程を自ら制御できず、活動そのものが他者に属する。この記述は、階級(CON-0008)という区分と結びついて、19世紀以降の社会主義(NAR-0020)の中心的な語彙になった。ただし疎外の適用範囲が体制に固有の問題なのか大規模組織一般の問題なのかは、20世紀を通じて論争が続いた。
労働の商品化がどこまで及んだかについても議論がある。1970年代以降のフェミニスト経済学は、賃金の支払われない家事・育児・介護が、労働力の日々の再生産を支えながら国民経済計算の外に置かれてきた点を指摘した。市場の内部と外部を分ける線の引き方それ自体が、体制の構成要素であるという論点である。
強制労働との関係も、長く論争の的である。エリック・ウィリアムズは1944年に、大西洋奴隷貿易の利潤がイギリスの産業化を資金面で支え、奴隷制の廃止は道徳的覚醒よりも経済的条件の変化で説明できると論じた。この2つの主張には強い反論がある。シーモア・ドレッシャーは、廃止の時点でカリブの砂糖経済は衰退しておらず、廃止は経済的合理性に反する選択だったと論じた。近年の「資本主義の新しい歴史」と呼ばれる研究群は綿花と奴隷制の中心性を改めて主張したが、その一部の数量的推計には経済史家からの強い批判がある。確実に言えるのは、自由な賃労働と不自由な強制労働が、同じ時期に同じ交易網の内部で並存していたという事実である。賃労働のみによって資本主義を定義する記述は、この並存を説明から落とすことになる。
6. 産業革命と、無限成長という想定の物質的基礎
蓄積の運動が観念として成立しても、実際に長期の拡大が起きなければ、無限成長は想定として定着しなかった。産業革命(NAR-0068)が供給したのは、その裏づけである。
なぜイギリスで先行したのかについては、いわゆる大分岐論争が続いている。ケネス・ポメランツは、18世紀半ばまで長江下流域とイングランドの生活水準に大きな差はなかったとし、分岐の要因を石炭鉱床の立地と、新大陸から供給された土地集約的な産物——綿花、砂糖、木材——に求めた。ロバート・アレンは、イギリスの高い賃金と安価な石炭という相対価格の構造が、労働を機械で置き換える技術に採算性を与えたと論じた。ジョエル・モキイアは、実験と公開の規範を持つ知識文化(NAR-0007)と職人の技能の結合を重視する。いずれも部分的な支持を得ており、単一の原因に還元されていない。
体制の記述にとって決定的なのは、エネルギー源の転換である。それ以前の経済は、太陽の当年の入射量に由来する資源——薪、家畜、水流、風、そして人間の筋力——に依存していた。この体系では、生産の拡大が土地の面積によって制約される。化石燃料の大規模利用は、この制約を外した。地層に蓄積された過去のエネルギーを取り崩すことで、当年の入射量とは無関係に出力を増やせるようになったのである。無限成長(CON-0010)という想定が現実味を帯びたのは、この転換以後であり、それ以前の経済思想にはむしろ定常状態を前提とする議論が目立った。想定は思想として生まれたのではなく、物質的な条件の変化を後追いして定式化された。
進歩(CON-0007)という歴史観との結合も、この時期に強まる。生産の拡大、技術の改良、生活条件の改善が同じ方向を指す時間が数世代続いたことで、拡大それ自体が善であるという評価が自明化した。
拡大を測る指標が整備されたのは、さらに後である。国民所得の体系的な推計は1930年代に本格化し、戦時計画と戦後の国際的な統計基準を通じて標準化された。推計の設計に関わったサイモン・クズネッツは、1934年の議会向け報告で、国民の福祉はこの種の所得測定からはほとんど推し量れないと明記している。にもかかわらず、単一の集計値が政策目標として扱われる慣行が定着した。何を数え、何を数えないか——家事労働は算入されず、資源の減耗は控除されず、防除的な支出も加算される——という設計上の選択は、以後の成長論争の争点であり続けている。
7. 20世紀——対立と再編
19世紀半ば以降、正面から対抗する物語が形成された。社会主義(NAR-0020)は、生産手段の私的所有と市場的な調整を廃棄し、社会的所有と計画的な調整に置き換えることを掲げた。この対立(本DBでは1848年を成立年とする)は、以後1世紀半にわたって政治的な対立軸の基軸となる。
対立は理論の領域でも展開した。1920年代に始まる経済計算論争では、価格機構を持たない体制が資源配分に必要な情報をどう獲得するのかが問われ、この問いは分散した知識の扱いという主題として後の議論に長く影響を残した。同時期に、体制の内部からの再定式化も進む。ヨーゼフ・シュンペーターは、資本主義の推進力を価格競争ではなく、新しい製品・工程・組織が既存のそれを破壊しながら置き換える過程に求め、これを創造的破壊と呼んだ。この記述では、安定は目標ではなく異常である。
第二次世界大戦後の数十年、多くの先進国では、市場の作動を維持しつつ雇用の水準、社会保障、資本移動の規制を国家が管理する体制が採られた。国際政治経済学ではこの組み合わせを「埋め込まれた自由主義」と呼ぶ。1970年代のインフレと成長鈍化のなかで枠組みが動揺し、1980年代以降は規制緩和、民営化、中央銀行の独立性、資本移動の自由化を軸とする制度設計が広く採用された。この潮流は新自由主義(NAR-0102)と呼ばれるが、この名称は主として批判する側が用いてきたものであり、当事者は古典的自由主義、秩序自由主義、リバタリアニズムなど異なる自己記述を用いる。ミルトン・フリードマン(THK-0049)の『資本主義と自由』(TXT-0041、1962年)は、この系譜の代表的な参照点である。リベラリズム(NAR-0044)との関係については、市場秩序が権利論を生んだのか、権利論と法制度こそが市場秩序の条件を整えたのか、因果の向きをめぐって学説が分かれる。
もう1つの再編は、対立していたはずの物語との結合として現れた。1992年以降の中国では、社会主義市場経済という定式のもとで、私的経営、株式市場、2001年の世界貿易機関加盟が体制の内部に組み込まれた(NAR-0076)。本DBはこれを習合の関係として記録している。この事例は、対立する2つの物語が要素の水準では結合しうることを示している。
なお2008年の金融危機以降、産業政策の復権や経済安全保障の議論を通じて、市場と国家の境界をめぐる論争は再び開かれた。この論争の帰趨について、本記事は見通しを述べない。
8. 有限な惑星——現在の3つの分岐
20世紀後半、対抗の軸が移動した。所有と分配をめぐる対立に加えて、成長そのものの是非という争点が立ち上がる。
環境主義(NAR-0078)は、自然保護の運動から出発し、1962年の『沈黙の春』(TXT-0035)と1960年代の公害問題を契機に大衆運動化した。1972年の『成長の限界』(TXT-0016)は、資源、人口、汚染、資本を連立させたモデルによって、物理的な拡大が有限な系のなかで継続できないことを示そうとした試みである。同じ年の国連人間環境会議以降、国際交渉、環境NGO、緑の党という3つの回路で制度化が進む。持続可能性(CON-0014)という語が、成長の是非を正面から問わずに両者を接合する概念として広く採用されたのも、この過程においてである。
2000年に提唱された人新世(NAR-0088)は、この争点を時代区分の水準に引き上げた。人類の活動が地層と大気組成に地質学的な痕跡を残しているという診断であり、開始時期を農業の開始、産業革命、20世紀半ばの「大加速」のいずれに置くかが論争になった。2024年、国際的な層序学の審議では正式な地質年代としての提案は承認されず、非公式の概念としての使用が続いている。この語には批判もある。「人類」を一様な主体として名指すことは排出と収奪の責任配分を曖昧にするという指摘であり、資本新世、農園新世といった対案が提出されてきた。責任の主体をどの単位——人類、国家、産業、階級——で設定するかという問いが、命名の問題として可視化された点に、この概念の固有の効果がある。
現在の分岐は、3つの方向に整理できる。争点は共通しており、経済的な産出と物質・エネルギーの消費を切り離す「デカップリング」が、必要な速度と規模で可能かという実証的な問いに収束する。
脱成長(NAR-0056)は、切り離しが必要な速度で起きた証拠はないという判断に立ち、物質・エネルギー消費の計画的な縮小と、成長を政策目標から外すことを掲げる。前史にはジョージェスク=レーゲンのエントロピー経済学とイリイチの制度批判があり、2002年前後のフランス語圏で標語として定式化され、2008年のパリ会議以降に国際的なネットワークを形成した。ただし、産出の縮小それ自体を目標とする立場と、成長を目標から外すにとどめる立場は綱領を異にする。
エコモダニズム(NAR-0057)は、同じ危機認識から逆の処方を導く。技術によって土地と資源の利用を集約し、人間の活動を自然から切り離すことで、生態系への負荷を減らしながら生活水準を維持できるとする立場である。2015年の宣言以降、原子力、都市の集中、集約農業をめぐる政策論争の一方の極として参照されている。もっとも、宣言自体が無制限の拡大を主張しているわけではない。
加速主義(NAR-0058)は、資本が技術革新を通じて既存の社会関係を絶えず解体するという分析を出発点としながら、その過程の抑制ではなく徹底に活路を求める。左派の潮流は生産力の社会的な再領有と労働からの解放を綱領とし、右派・無条件の潮流は市場と技術の自律的な過程そのものを肯定する。共有されているのは、減速ではなく徹底によって乗り越えるという構えだけであり、政策的な具体性は乏しく、影響は主として言説の水準にとどまる。
この3者のいずれが正しいかについて、本記事は判定しない。記述しておくべきなのは、3つとも同じ前提——惑星が有限であり、現在の物質的な軌道がそのまま延長できないという認識——から出発しており、分岐しているのは処方であって診断ではない、という構造である。
9. 結び——物語としての資本主義
資本主義の歩みを、narrativist.orgが用いる4つの関係——派生、対立、習合、輸入翻訳——に照らすと、いくつかの傾向が浮かぶ。
派生の関係では、この物語は上流にも下流にも多くの接続を持つ。上流には貨幣(NAR-0005)と法(NAR-0042)があり、下流には会社(NAR-0043)、リベラリズム(NAR-0044)、そして批判者である加速主義(NAR-0058)がある。社会主義も脱成長も、資本主義の記述を継承したうえで評価を反転させている。対象を否定する物語ほど、対象の記述に依存するのである。
対立の関係では、争点が移動した。19世紀から20世紀にかけての軸は、所有と調整方式——誰が生産手段を持ち、資源配分を価格に委ねるか計画に委ねるか——であった。20世紀後半に立ち上がった軸は、成長そのものの是非である。この2つは別の対立であり、片方の立場から他方が自動的に導かれるわけではない。生産手段の社会的所有を掲げながら生産力の拡大を目標とする立場も、私的所有を維持しながら物質消費の縮小を求める立場も、論理的には成立する。
習合の関係は、この物語の適応力を示している。資本主義が携行してきたのは、包括的な世界観ではなく、複式簿記、有限責任、株式、契約という比較的独立した部品であった。部品化された体系は、異なる宿主に埋め込める。要素の水準での結合が、綱領の水準での対立と両立しうるのはそのためである。
輸入翻訳の関係では、訳語の選択そのものが史料になる。会社、株式、資本、経済、社会といった語が各言語圏でどう作られ、どの既存語彙に接続されたかは、制度の受容過程を映している。
最後に、冒頭の結論に戻る。この物語が強力なのは、それが正しい体制だからでも、人間の本性に適合しているからでもない。終点を持たない運動として設計され、その運動を担う器が法によって整えられ、拡大が数世代にわたって実際に続いたからである。3つの条件のうち、前の2つは制度の産物であり、3つ目は物質的な条件に依存する。耐久性を問うとき検討すべきなのは、動機や倫理ではなく、この依存関係のほうである。
そして無限成長という想定は、資本主義に固有の発明ではない。進歩という歴史観、科学革命の楽観、化石燃料という一度限りの資源が同じ時期に重なったことの帰結である。想定が有限性と衝突する局面で体系がどう組み替わるのか、あるいは組み替わらないのか——それは記述の対象であって、予測の対象ではない。narrativist.orgが物語を系統樹として記述するのは、進行中の論争を、賛否の表明としてではなく、部品の組み替えの記録として残すためである。
ナラティビスト編集部