貨幣——最も成功した共同幻想
宗教は人類を分割した。国民という分類は地球を200ほどの区画に切り分けた。しかし貨幣だけは、信仰も国籍も言語も共有しない者どうしのあいだで、説明を必要とせずに通用する。互いを憎み合う共同体の成員が、同じ紙片や同じ帳簿上の数字を受け取ることに合意する。これは人類が作り出した物語のなかで、もっとも広い合意を獲得した事例である。
結論を先に置く。貨幣が普遍化したのは、金や銀という素材に価値が内在していたからではなく、また特定の経済思想が正しかったからでもない。貨幣は、信じるべき内容を指定しない物語だからである。信仰は教義への同意を求め、国民は帰属の自認を求める。貨幣が要求するのは「他人もこれを受け取るだろう」という予期だけであり、その予期は本人が貨幣を尊いと感じているかどうかとは無関係に成立する。内容が空白であるがゆえに、あらゆる文化圏に埋め込むことができた。
- 貨幣の起源については、交換の不便を解消する道具として生まれたとする経済学の物々交換起源説と、債務の記録と計算単位が先行したとする人類学の負債起源説が対立しており、いずれか一方に決着したとは言えない。諸説ある
- 貝殻、家畜、穀物、秤量銀、鋳造貨幣、紙幣、預金通貨、電子的な記録という素材の変遷を通じて一貫しているのは、素材ではなく、発行と受領をめぐる予期の構造である
- 貨幣は単独では機能せず、法(NAR-0042)、帝国(NAR-0006)、会社(NAR-0043)といった他の物語に埋め込まれた形でのみ運搬されてきた。宿主を選ぶことが、この物語の拡散戦略であった
本記事は、貨幣をめぐる制度の是非を論じない。金属への裏づけを持つ通貨とそれを持たない通貨のいずれが望ましいか、市場の拡大を是とする立場と否とする立場のどちらが正しいか、新しい形式の資産をどう評価すべきか——これらの問いには立ち入らず、構造がどう組み替えられてきたかの記述に徹する。
1. 3つの機能という説明が飛ばしているもの
経済学の教科書は貨幣を機能によって定義する。交換手段、価値尺度、価値貯蔵——この3つを果たすものが貨幣である、と。定義としては有用だが、これは貨幣が何をするかの列挙であって、なぜそれが可能なのかの説明ではない。
貨幣が交換手段として働くのは、受け取った者が次の相手に渡せると予期しているからである。その次の相手も同じ予期を持つ。この予期は連鎖しており、どこにも最終的な裏づけの地点がない。金貨であっても事情は変わらない。金そのものを工業的に必要とする者は歴史上つねに少数であり、金貨が受領されたのは、金に価値があると他人が考えていると各人が考えていたからである。裏づけは循環している。
この循環は欠陥ではなく、貨幣という制度の作動原理そのものである。全員が同時に信じているあいだ、その信は事実として振る舞う。誰も個別には検証できないが、集合としては実在する——この構造を、narrativist.orgは共同幻想と呼んでいる。想像の共同体(NAR-0053)が「顔を合わせたことのない同胞」を実在させたのと同じ操作が、ここでは「見知らぬ者への支払い」を実在させている。
貨幣が特異なのは、この共同幻想が信念の内容を問わない点にある。国民という物語は、成員に帰属意識を要求する。宗教は、教義の受容を要求する。貨幣は何も要求しない。紙幣を軽蔑しながら受け取ることができ、通貨制度を批判しながら決済に用いることができる。信じているふりで足りる物語は、内心の同意を必要とする物語よりもはるかに速く広がる。
そして貨幣は、都市(NAR-0066)が抱えていた問題への解答でもあった。都市は、互いの評判を知らない者どうしが密集する場である。血縁でも隣人でもない相手と取引するには、相手の誠実さを確認する代わりに、その場で完結する決済手段が要る。貨幣は、信用調査を省略する技術として都市とともに広がった。
2. 起源をめぐる2つの物語
貨幣の起源についての標準的な説明は、アダム・スミス(THK-0019)の『国富論』(TXT-0007、1776年)に定式化された形で流通してきた。分業が進むと、パン屋は肉を欲しがり、肉屋はパンを欲しがるとは限らない。この「欲望の二重の一致」の困難を回避するため、誰もが受け取る商品——保存がきき、分割でき、運搬しやすいもの——が自然に選ばれ、金属が最終的に定着した。物々交換の不便が貨幣を生んだ、という筋書きである。
この説明には、人類学の側から長く反論が出されてきた。もっとも知られているのは、人類学者デヴィッド・グレーバーが『負債論』(2011年)で提示した整理である。要点は経験的なものだった。すなわち、貨幣を持たない社会が物々交換によって日常的な経済を営んでいたという民族誌的な記録は、ほとんど存在しない。人類学者キャロライン・ハンフリーは1985年に、純粋な物々交換経済が記述された事例はないと述べている。実際に観察されるのは、共同体内部での貸し借りの記憶と、返済の義務の網である。物々交換が現れるのは、むしろ貨幣制度が崩壊した後や、共同体の外部の者との一回限りの取引においてであった。
負債起源説の主張はこうである。最初に成立したのは交換の道具ではなく、計算の単位である。誰が誰にどれだけ負っているかを記録するために、共通の尺度が必要になった。物理的な貨幣は、その尺度が後から物質化したものにすぎない。
メソポタミアの記録は、この説と整合する部分を持つ。ウルク期以降の神殿と宮廷は、大麦の重量単位と銀の重量単位を用いて、地代、労働の対価、罰金を記帳していた。シェケルはもともと大麦の一定量に対応する重量単位であり、銀では約8グラムに相当した。重要なのは、その銀が実際に手渡されたとは限らない点である。銀は帳簿上の尺度として機能し、決済は大麦や労働でなされ、多くの場合は差引の記録として繰り越された。前2100年頃のウル・ナンム法典、前18世紀のハンムラビ法典が、傷害や損害の賠償額を銀の重量で列挙しているのも同じ構造である。法(NAR-0042)が定めるのは支払われるべき量であって、支払いに用いられる物体ではない。
この記帳を可能にしたのが文字(NAR-0041)であった。粘土のトークンと封印から発展した記録体系が、債務と価格を固定した。ただし、文字と計数のどちらが先行したかについては議論があり、両者を同一の過程の2つの側面とみなす立場もある。同様に、余剰の蓄積と再分配を生んだ農業革命(NAR-0008)が計量単位を要請したという説明も、単線的な因果としてではなく条件の提示として理解すべきものである。
両説の対立は、現在も解消していない。負債起源説を支持する研究者のあいだでも、グレーバーの歴史記述の細部には批判がある。他方で、物々交換起源説を擁護する側は、それが実際の歴史記述ではなく、貨幣の機能を説明するための思考上の再構成として提示されたものだと述べる。近年は、両者を発展段階として並べるのではなく、計算貨幣・信用・実物交換が場面に応じて併存してきたと捉える整理が増えている。起源については諸説あるという以上のことを、現状の証拠から断定することはできない。
3. 鋳造貨幣と帝国——刻印されたのは何か
貨幣史における明確な断絶は、前7世紀に現れる。小アジアのリディアで、金と銀の自然合金であるエレクトロンに刻印を打った小片が用いられはじめた。刻印の機能は品位と重量の保証である。取引のたびに秤量し純度を検査する作業を、発行者の信用に置き換えた。前6世紀にはリディア王クロイソスのもとで金貨と銀貨を分離する鋳造が行われたとされる。
刻印されたのは、実質的には主権(CON-0005)である。誰がこの小片の価値を保証するのか——その問いへの答えが、王の名や紋章や神像として表面に現れた。鋳造貨幣は、経済の道具であると同時に、支配の及ぶ範囲を示す媒体になった。
帝国(NAR-0006)と鋳造貨幣の結合は、この時期以降きわめて緊密である。アケメネス朝はダレイコス金貨を発行し、アレクサンドロスの遠征は各地に共通規格の銀貨を残し、ローマはデナリウスを地中海世界の共通尺度にした。この結合には反復される力学がある。国家は軍隊に貨幣で支払い、同じ貨幣で納税することを住民に義務づける。すると住民は納税のために貨幣を獲得しなければならず、兵士に食料や物資を売る市場が生まれる。グレーバーはこれを「軍事・鋳貨・奴隷制の複合」と呼んだ。貨幣による市場の形成は、自然発生というより、財政上の要請から設計された側面を持つ。
金属の鋳貨が唯一の解ではなかったことは、貝殻の事例が示している。タカラガイは、モルディブ諸島を主要な産地として、インド洋の交易網を通じて南アジア、東南アジア、中国南部へ運ばれ、さらにサハラ交易路と大西洋の海路を経て西アフリカ内陸まで到達した。中国では殷代の遺跡から出土し、「財」「貨」「買」「貧」といった漢字が貝の字形を部首に持つことに痕跡を残している。西アフリカでは、19世紀に至るまで日常的な小額決済の手段として用いられた。産地が限られ、偽造が難しく、大きさが揃い、耐久性があり、少額の取引に適した分割単位を提供する——タカラガイは、金属が備えるとされた条件の多くを、金属によらずに満たしていた。同時にこの事例は、貨幣の受領が産地との地理的な近さと無関係であることも示す。モルディブから数千キロメートル離れた内陸で、貝殻は貨幣として通用した。素材が何であるかより、供給が制御されており、受領されるという予期が共有されていることのほうが決定的だったのである。
中国では系統の異なる展開があった。青銅の農具や刀の形を模した布銭・刀銭が地域ごとに流通し、秦の統一によって円形方孔の半両銭に統合され、前118年に漢の五銖銭が定着した。中央に穴のあいた低額面の銅銭を大量に鋳造し、紐で束ねて用いる方式は、地中海世界の銀貨中心の体系とは異なる。額面と素材価値の関係も異なっており、鋳造貨幣が必ずしも金属の含有量に対応しないことは、早い段階から自明であった。
その乖離は、財政の道具にもなった。ローマのデナリウスは、帝国後期に銀含有率を段階的に引き下げられた。同じ額面のまま銀を減らせば、差額は発行者の収入になる。この操作は繰り返し行われ、そのたびに物価の上昇と、旧貨の退蔵を招いた。額面の高い旧貨は手元に留められ、劣化した新貨が流通する——後に「悪貨は良貨を駆逐する」と定式化される現象である。ここで露呈しているのは、貨幣の価値が発行者の裁量に依存しており、その裁量が財政上の誘因にさらされているという構造的な緊張である。この緊張は、素材が金属から紙へ、紙から電子的な記録へ移っても消えていない。
4. 紙と信用——請求権としての貨幣
紙幣の最初の体系的な運用は中国で起きた。唐代の9世紀には、遠隔地への送金を証書で代替する飛銭が用いられた。北宋の11世紀初頭、成都の商人が発行した預り証である交子が流通しはじめ、1023年に官営化された。元代の交鈔は、金属貨幣との兌換を制限した広域的な紙幣制度として運用され、ヨーロッパから訪れた旅行者を驚かせた。同時にこの制度は、財政需要に応じた増発が物価の急騰を招くという経路も、早い段階で経験している。
ヨーロッパでは、別の入口から同じ抽象化が進んだ。12世紀から13世紀のシャンパーニュ大市を舞台に発達した為替手形は、ある都市で預けた金額を別の都市で別の通貨で受け取る仕組みである。輸送の危険を避けるという実務的な動機に加え、利子の授受をめぐる宗教的な制約を、為替差益という形式で処理する技術としても機能した。ここで扱われているのは金属ではなく、支払いを求める権利、すなわち契約(CON-0016)である。
貨幣が請求権の束であることは、17世紀以降さらに明確になる。金匠が発行した預り証が預けられた金の量を超えて流通しはじめ、部分準備による銀行貨幣の原型ができた。1694年に設立されたイングランド銀行は、政府への貸付と引き換えに銀行券の発行権を得た。国家の債務が民間の決済手段になるという構造がここに成立している。戦費調達の必要が、貨幣制度の設計を主導したのである。
同じ時期、別の擬制が接続する。1602年に設立されたオランダ東インド会社は、譲渡可能な株式と、構成員の交代を超えて存続する資本を備えた組織であった。会社(NAR-0043)という物語は、団体それ自体を権利義務の主体とみなす法人格(CON-0013)の法理を、中世の都市・大学・修道会から受け継いでいる。1855年の有限責任法と1862年の会社法によって、イギリスで設立が一般化した。
貨幣と会社の結合が生んだのは、価値の時間的な移動である。株式は将来の収益への請求権であり、その請求権自体が売買される。債務証書も同様である。貨幣は現在の交換を媒介するだけでなく、未来を現在の価格に翻訳する装置になった。リスク(CON-0051)という近代的な概念が、保険と金融の実務のなかで整備されたのもこの過程においてである。不確実な未来を、確率と金額という測定可能な形式に変換すること——貨幣はその変換の共通言語を提供した。
5. 世界標準と、裏づけの放棄
19世紀後半、金を基準とする通貨体系が国際的に広がった。イギリスが先行し、1870年代以降に主要国が続いた。異なる主権のもとにある通貨が、金という共通の基準を介して固定的な比率で結ばれた。この体系は、産業革命(NAR-0068)による生産の拡大と、植民地主義(NAR-0100)による広域的な交易網の形成と同時に進行した。植民地行政は現地の多様な決済手段を宗主国の通貨体系に接続し、人頭税を通貨で徴収することで、通貨の使用そのものを制度的に強制した例も多い。世界標準は、便益の比較によって選ばれただけでなく、統治の経路を通じて敷設された。
この体系は20世紀に2度の解体を経験する。第一次世界大戦で各国は金兌換を停止し、戦間期の復帰の試みは1930年代の恐慌のなかで崩れた。1944年のブレトンウッズ会議は、合衆国ドルを金に結びつけ、他国通貨をドルに結びつける間接的な形式で再建を図った。そして1971年、合衆国は金との兌換を停止した。以後、主要通貨は金属への兌換義務を持たない不換紙幣として運用されている。
この移行の意味は、しばしば通貨価値の毀損として語られるが、構造の記述としてはもう少し正確に言える必要がある。金兌換の下でも、貨幣の価値は最終的に金にあったわけではなく、金に価値があるという共有された予期にあった。1971年に放棄されたのは価値の根拠ではなく、根拠があるという説明の形式である。裏づけの位置には、徴税権、法貨としての規定、中央銀行による発行量の管理という制度の束が入った。共同幻想は、より露骨な形で共同幻想として運用されるようになったにすぎない。
この評価をめぐる論争——金属への結びつきを回復すべきか、裁量的な管理を継続すべきか——には、本記事は立ち入らない。記述しておくべきなのは、どちらの体系においても、貨幣が制度への信頼に依存するという条件は変わらないという点である。
6. 貨幣をめぐる理論の対立
貨幣の本質をどこに置くかは、経済思想の分岐点であり続けてきた。大別すれば2つの系譜がある。
1つは商品貨幣説である。貨幣は市場の内部から自生的に生まれた特別な商品であり、国家はその流通を追認したにすぎないとする。もう1つは表券主義ないし信用貨幣説であり、貨幣とは債務の記録であって、何を貨幣とするかは法と国家が定める、とする。後者はゲオルク・フリードリヒ・クナップが1905年に定式化した形で知られる。前節までに見た歴史——鋳造が主権の宣言として現れ、紙幣が国家債務から生まれ、不換紙幣が徴税権に支えられている——は、後者に接続しやすい。他方で、金属の重量が長期にわたり国際的な尺度として機能した事実は、前者の主張を支える。
カール・マルクス(THK-0005)は『資本論』(TXT-0029、1867年)で、貨幣の役割の転換に注目した。商品を売って貨幣を得て別の商品を買う運動(W-G-W)は、消費で完結する。これに対し、貨幣を投じて商品を経由し、より多くの貨幣を回収する運動(G-W-G')は、原理的に終点を持たない。この転換が資本主義(NAR-0018)という物語の核である。ここで、貨幣の存在自体が資本主義を必然化するわけではないという留保は重要である。貨幣は数千年にわたって存在してきたが、蓄積の無限運動が経済編成の原理になったのは近世以降であり、そこには法制度、会社形態、労働市場という条件が揃う必要があった。この物語が前提とする無限成長(CON-0010)は、貨幣の性質から自動的に導かれるものではなく、歴史的に組み立てられた想定である。
マックス・ウェーバー(THK-0022)は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(TXT-0017)を含む一連の仕事で、別の側面を強調した。貨幣による計算は、経営を計算可能な対象に変える。合理的な簿記が可能になることで、経済活動は勘と慣行から、比較と予測の体系へ移行する。ゲオルク・ジンメルは『貨幣の哲学』(1900年)で、この計算可能性が人間関係に及ぼす作用を論じた。貨幣は質を量に還元し、人格的な結びつきを非人格的な取引に置き換える。それは束縛からの解放であると同時に、関係の希薄化でもある——ジンメルはこの両義性を、どちらかに解消することなく記述した。カール・ポランニーは『大転換』(1944年)で、労働と土地と貨幣が商品として扱われることの帰結を論じ、市場が社会に埋め込まれた状態から、社会が市場に埋め込まれた状態への反転を指摘した。
20世紀後半、貨幣の管理をめぐる制度設計は新自由主義(NAR-0102)の枠組みのもとで大きく組み替えられた。ミルトン・フリードマン(THK-0049)の『資本主義と自由』(TXT-0041、1962年)に代表される議論は、裁量的な政策よりも規則に基づく運営を重視した。1980年代以降、中央銀行の独立性、物価上昇率の目標設定、資本移動の自由化といった制度が多くの国で定着している。2008年の金融危機以降、この枠組みの見直しが進み、市場と国家の境界をめぐる論争は再び開かれた。社会主義(NAR-0020)や脱成長(NAR-0056)のように、貨幣的評価の範囲そのものを縮小しようとする物語も、この論争の当事者である。いずれの立場についても、本記事は評価を下さない。記述すべきは、貨幣が階級(CON-0008)や労働(CON-0039)の配置と不可分に結びついており、貨幣制度の設計が中立的な技術問題ではないという構造である。
7. 電子的な記録へ——共同幻想の再設計
20世紀後半以降、決済の物理的な担い手は急速に後退した。銀行間の振替、カード決済、そしてインターネット(NAR-0069)を経路とする送金によって、貨幣の大部分は帳簿上の数値として存在するようになった。2007年にケニアで始まった携帯電話による送金サービスは、銀行支店網を持たない地域で決済インフラが成立しうることを示した。中国では二次元コードによる決済が現金流通を大きく置き換えた。これらは制度の主体を変えていない。発行と管理は既存の主体が担い続けている。
2008年に公表された論文と、2009年に開始された運用は、その主体の位置に手を入れる試みであった。ビットコインの設計が提示したのは、発行量をあらかじめ規則として書き込み、取引記録を単一の管理者ではなく分散したネットワークで保持するという構成である。以後、多様な設計の暗号資産が現れた。
この動きを構造として記述すれば、次のようになる。貨幣が要求してきたのは「他人も受け取るだろう」という予期であり、その予期を支えてきたのは、金属の希少性、王の刻印、国家の徴税権といった、時代ごとに異なる対象への信頼であった。暗号資産が試みたのは、その信頼の対象を、プロトコルの規則とネットワーク参加者の集合へ移すことである。信頼を不要にしたのではなく、信頼の宛先を書き換えたのだと言うほうが正確である。共同幻想の構造そのものは維持されている。
その後の展開は、この移し替えが一方向でないことも示している。既存通貨の価値に連動させる設計の資産は、参照先として国家通貨を呼び戻している。複数の中央銀行が検討または発行に着手したデジタル通貨は、分散台帳という技術的な語彙を、中央発行という従来の構成に組み込む試みである。ここで争点になっているのは、決済の記録を誰が保持し、誰が閲覧できるかという問題であり、それはデータ主権(NAR-0082)やコモンズ(CON-0053)をめぐる議論と同じ地平に置かれる。匿名の現金が担っていた性質——誰に支払ったかが記録に残らないこと——を電子的な決済がどこまで再現するかは、技術の問題であると同時に統治の問題である。
これらの資産や制度の是非、将来の見通し、保有の当否について、本記事は何も述べない。記述しておくのは、貨幣の物語が、素材の交代ではなく信頼の宛先の交代として書き換えられてきたという一貫した形式である。
8. 結び——空白であることの強さ
貨幣の歩みを、narrativist.orgが用いる4つの関係——派生、対立、習合、輸入翻訳——に照らすと、いくつかの傾向が見える。
派生の関係では、貨幣は驚くほど多産である。農業革命と文字から派生して成立した計算貨幣が、資本主義(NAR-0018)を生み、資本主義が会社(NAR-0043)を生んだ。会社は法(NAR-0042)から法人格を借り、法は文字から条文の形式を借りている。これらの物語は互いを前提としており、単独では作動しない。貨幣が数千年にわたって存続したのは、それ自体が強固だったからではなく、他の物語に部品として組み込まれ、宿主とともに運ばれたからである。
対立の関係では、注目すべき非対称がある。貨幣制度に異議を申し立てた物語は数多い。利子を禁じる宗教的規範、貨幣的評価の外部を守ろうとする共同体、生産手段の社会的所有を掲げる体系、成長そのものを目標から外そうとする議論——いずれも貨幣の作用範囲を制限しようとしてきた。しかし、貨幣そのものを廃棄した大規模な社会は、持続した例を持たない。批判は貨幣の配分や用途に向かい、貨幣という形式そのものは残った。対立者もまた、貨幣の言語で自らの主張を測らざるをえなかったからである。
輸入翻訳の関係は、この物語の拡散をもっともよく説明する。鋳造という技術、複式簿記という記法、株式という形式、中央銀行という制度は、それぞれ発祥の地を離れて世界中に移植された。移植の際に失われた要素もある。貨幣が共同体内部の互酬と結びついていた地域では、その結びつきは制度化されずに残るか、消えた。翻訳は常に変形をともなうという原則は、ここでも成り立つ。
そして最後に、冒頭の結論に戻る。貨幣が全人類に届いた理由は、内容の優秀さではなく形式の空白にある。貨幣は、それを使う者に何も信じることを求めない。国家を支持しなくても、経済思想に同意しなくても、通貨に敬意を持たなくても、決済は成立する。必要なのは、次の相手も受け取るという予期だけである。予期は、内心と切り離して共有できる。だからこそ、敵対する共同体のあいだでも、まったく異なる価値観を持つ者どうしのあいだでも、この物語は通用した。
これは強さであると同時に、この制度の脆さの所在も示している。内容が空白な物語は、内容によっては壊れない。壊れるとすれば、予期の連鎖そのものが途切れるときである。歴史上の通貨崩壊が、多くの場合きわめて短期間に、しかも制度の物理的な実体が何も変わらないまま起きてきたのは、そのためである。紙は同じ紙のまま、数値は同じ数値のまま、共有された予期だけが消える。
物語を系統樹として記述しようとするとき、貨幣はもっとも扱いにくい標本の1つである。中心となる正典も、創始者も、教団もない。それでいて、この星に暮らすほぼ全員が、日々その物語を実演している。信じられていることに誰も気づかないほど深く共有された物語が、どのような形式的性質を備えているのか——貨幣は、その問いに対する最良の観察対象である。
ナラティビスト編集部