FIG-0145 / 人物・神格(Figure) / 神格

夜刀神

Yato no Kami

確度 A学術的定説

別名:夜刀の神、ヤトノカミ、谷の神

常陸国風土記行方郡の条に、蛇の身で頭に角をもち、見た者は家門を破り子孫が絶えるとされる谷の神として記される。継体天皇の世に箭括氏麻多智が葦原を開墾した際に群れ集まって妨げ、打ち殺され追われたうえで、山口に立てた標の杖より上を神の地と定められ、麻多智が祝となって祀ることになる。孝徳天皇の世には壬生連麿が池を築こうとしたとき椎の株に集まって去らず、目に見える魚虫の類は憚りなく打ち殺せと命じられて姿を隠したと記される。開拓する側の記録でありながら、境を定めて祀るという妥協と、それすら打ち切る後の場面とを並べて残しており、在地信仰と律令的開発の衝突を最も直接に伝える説話である。

実在性の評価 神話的存在

常陸国風土記(一部が現存)行方郡の条にのみ記される在地の蛇神で、歴史的実在は想定されない。志田諄一は現行本文に編纂者の儒教的な潤色を認め、原話は神を祀ることで開発と子孫の繁栄が得られたとする内容であったとみる。関幸彦は箭括麻多智の族長的な開発と壬生連麿の律令的な開発とを対比して収めたものと解する。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

延喜式神名帳の常陸国行方郡にこの神名を冠する社の記載はなく、律令の祭祀体系に組み込まれなかった神である。茨城県行方市には現在も夜刀神社が伝えられ、風土記の伝承地として維持されている。国家の神名帳に載らないことと、在地で祀られ続けることが両立している点に、この神の位置が現れている。

種別
神格
役割
犠牲
系譜(親)
(記載なし)
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
風土記
登場テキスト
風土記
関与する物語
神道