FIG-0065 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王
雄略天皇
Emperor Yūryaku
確度 A学術的定説
別名:大長谷若建命、大泊瀬幼武天皇、ワカタケル大王、獲加多支鹵大王、大悪天皇、有徳天皇
古事記
大長谷若建命
日本書紀
大泊瀬幼武天皇
記紀は兄弟や従兄弟を次々に討って皇位に就いた強暴な大王として描き、日本書紀は大悪天皇と有徳天皇の2つの評語を並べて記す。宋書の伝える倭王武の上表文は東西と海北への征服を誇り、5世紀後半の広域支配の実像を伝える。関東と九州から同一の大王名を刻む金石文が出たことにより、記紀の伝承と同時代史料が結び付いた分節点にあたる。播磨国風土記にも大泊瀬天皇の名で記事が見える。
実在性の評価 実在が有力
埼玉県稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に「獲加多支鹵大王」とあり、辛亥を471年とみて記紀の伝えるワカタケル(大長谷若建命/大泊瀬幼武)に比定するのが通説である。熊本県江田船山古墳出土の銀象嵌銘大刀の読みもこれに合わせて改められ、宋書倭国伝の倭王武との比定も整合的で、同時代の金石文と外部史料の双方が一致する数少ない例である。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
この天皇自身を祭神とする社は乏しい。葛城で一言主神と遭遇する説話は大和国葛上郡の葛木坐一言主神社(名神大)の縁起と結びつき、続日本紀や日本霊異記が一言主を土佐へ流されたと伝えることから、土佐国の都佐坐神社の祭神をめぐる伝承にもつながっている。
原典に登場する箇所20節
- 下巻 第137節允恭天皇の九人の子
- 下巻 第144節安康天皇、大日下王を殺す
- 下巻 第146節大長谷王子、二人の兄を殺す
- 下巻 第147節都夫良意富美の家の最期
- 下巻 第148節蚊屋野の狩と市辺押磐皇子
- 下巻 第150節雄略天皇の宮と后妃
- 下巻 第151節白髪部と呉人の渡来
- 下巻 第152節志幾の大県主と白い犬
- 下巻 第153節若日下部王への求婚の歌
- 下巻 第154節引田部の赤猪子、八十年待つ
- 下巻 第155節吉野の童女と琴の歌
- 下巻 第156節蜻蛉が虻を食う
- 下巻 第157節葛城山の猪と榛の木
- 下巻 第158節葛城の一言主神
- 下巻 第159節金鉏岡の名の由来
- 下巻 第160節三重の采女と槻の葉
- 下巻 第161節袁杼比売と酒の歌
- 下巻 第162節雄略天皇の崩年と陵
- 下巻 第169節雄略天皇の陵と兄の判断
- 下巻 第171節仁賢天皇の后妃と御子