NAR-0009 / 物語(Narrative) / カテゴリ:建国神話

日本の建国神話(記紀と万世一系)

Japanese Founding Myth

確度 B有力だが異説あり
発生年代
8世紀(記紀の成立)/前660年(神武即位の伝承年)
発生地域
日本
中核テキスト
古事記
中核概念
主権、国民、階級
伝播経路
『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)の編纂により王権の由来譚が文字化され、中世の神道言説、近世の国学を経て再解釈された。幕末から明治期には教育制度、儀礼、祝祭日を通じて国民規模で共有された。
現在の信奉者規模
測定不能(信奉という単位での計測が困難で、単一の出典を示しがたい。中核概念の「階級」は氏姓制・身分秩序への近似であり、対応は暫定的。)
対抗物語
中華と天命
現代への影響
日本国憲法下で象徴天皇制として法的位置づけが変化した後も、皇位継承儀礼や元号など公的制度の一部に歴史的連続性が残る。歴史学では記紀の成立事情と、神話的記述と考古学的知見の関係が主要な検討対象であり続けている。

関連する関係レコード

対立 Opposition 中華と天命 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度A

徳を失えば天命が移り王朝が交替するという物語と、皇統が断絶なく連続するという物語は、正統性の原理として相互排他的である。近世日本の学者が中国の易姓革命との対比によって「万世一系」の優位を主張したことで対立が明示化した。

成立:17〜18世紀 / 根拠:山鹿素行『中朝事実』; 本居宣長『直毘霊』; 丸山眞男『日本政治思想史研究』

習合 Syncretism 儒教 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

垂加神道および後期水戸学が、儒教の名分論・大義名分と記紀神話の皇統観を結合し、尊王を軸とする政治的正統性の物語を作り出した。幕末の政治運動の思想的基盤となった。

成立:17世紀〜1825年 / 根拠:会沢正志斎『新論』; 丸山眞男『日本政治思想史研究』; ボブ・T・ワカバヤシ『Anti-Foreignism and Western Learning in Early-Modern Japan』

習合 Syncretism 仏教 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

本地垂迹説により記紀の神々が仏・菩薩の権現と解され、皇祖神を含む神話体系が仏教的世界観に組み込まれた。習合の主対象は神祇信仰全般であり、建国神話に限定した記述には留保が要る。

成立:8〜12世紀 / 根拠:黒田俊雄『日本中世の国家と宗教』(顕密体制論); 義江彰夫『神仏習合』

輸入翻訳 Import / Translation ナショナリズム → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

明治国家が西欧の国民国家モデルと「ネイション」概念を受容し、記紀神話と万世一系を国家の起源譚として再編・制度化した(憲法・教育勅語・国家神道)。近世以来の言説の連続性を強調する説もあり、翻訳の度合いには幅がある。

成立:1868年〜1890年 / 根拠:安丸良夫『近代天皇像の形成』; ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』(公定ナショナリズム); 村上重良『国家神道』

派生 Derivation 日本の建国神話(記紀と万世一系) → 神道 確度B

記紀に文字化された神話が、中世の伊勢神道・両部神道の教説、近世の垂加神道および国学に基づく復古神道を通じて、体系的な教説としての神道へ再構成された。他方で在地の神祇祭祀は記紀に先行するため、両者の先後関係は層により逆転する。「神道」を古代からの連続体とみなす立場と中世成立とみる立場の対立を反映して確度はB。

成立:13世紀〜18世紀 / 根拠:黒田俊雄「神道の語義と歴史的性格」; 伊藤聡『神道とは何か』; マーク・テーウェン&ファビオ・ランベッリ編『Buddhas and Kami in Japan』

対立 Opposition 日本の建国神話(記紀と万世一系) → 檀君神話と韓民族の物語 確度B

植民地期には日本と朝鮮の起源を同一の系譜に置く歴史叙述(日鮮同祖論)が公教育で用いられ、これに対し申采浩らは檀君を起点とする独自の民族史を対置した。二つの建国物語は起源の系譜をめぐって相互排他的な主張をなす。いずれも近代国家の自己叙述として構築されたものであり、史料批判の水準とは区別して扱う必要がある(確度B)。

成立:1900年代〜1945年 / 根拠:申采浩『朝鮮上古史』; アンドレ・シュミット『Korea Between Empires』; 小熊英二『単一民族神話の起源』

派生 Derivation 日本の建国神話(記紀と万世一系) → 大東亜共栄圏 確度B

記紀に由来する八紘一宇の語が地域秩序の標語として再解釈され、天皇を中心とする統治の物語が対外的な指導性の主張へ拡張された。国内の建国叙述が対外構想へ転用された派生である。

成立:1930年代〜1940年 / 根拠:山室信一『キメラ 満洲国の肖像』; 松浦正孝『「大東亜戦争」はなぜ起きたのか』

派生 Derivation 日本の建国神話(記紀と万世一系) → 古史古伝(周縁からの対抗史) 確度B

古史古伝は、記紀が確立した枠組み(神代からの神統譜、天孫降臨、神武による王朝の開始)を参照点とし、その空白を埋めるか、周縁の側から書き換える形で構成されている。神武以前に上古25代・ウガヤフキアエズ王朝73代を置く竹内文書や上記、記紀の原資料であると称するホツマツタヱは、いずれも記紀の記述と対照されてはじめて意味をなす。当事者は自らを記紀に先行する独立の伝承と主張するが、本エッジはその主張を採らず、現存資料から確認できる成立の順序と参照関係にもとづいて派生として記録する。9世紀の氏族由緒書(古語拾遺、先代旧事本紀)が記紀を引用しつつ別伝を主張した形式は、この構図の先行形態にあたる。

成立:18世紀後半-20世紀後半 / 根拠:原田実『偽書が揺るがせた日本史』(山川出版社、2020年); 吾郷清彦『古事記以前の書』(1972年); 鎌田純一(先代旧事本紀の序文と本文の区別)

対立 Opposition 古史古伝(周縁からの対抗史) → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度A

二つの物語は、日本の起源を語る資格をどちらがもつかをめぐって相互排他的な主張をなす。古史古伝の側は記紀を不完全ないし改変されたものとみなし、自らを本来の伝承と称する。これに対し近世には玉田永教が『上記』を偽書と断定し、伴信友が『仮字本末』(1850年)で神代文字を否定し、江戸期の考証学は先代旧事本紀の序文を偽作と指摘した。近代には狩野亨吉が1935年に竹内文書として提示された資料をすべて偽造と鑑定して「天津教古文書の批判」(『思想』1936年6月号)を発表し、国家は1936年に竹内巨麿を不敬罪等で摘発している。摘発の論理は記紀に基づく王統の物語を国家が独占するというものであり、同時期に津田左右吉の記紀批判もまた発禁と起訴の対象となった点で対をなす。

成立:19世紀初頭-20世紀 / 根拠:狩野亨吉「天津教古文書の批判」(『思想』1936年6月号); 伴信友『仮字本末』(1850年); 原田実『偽書が揺るがせた日本史』(2020年)

輸入翻訳 Import / Translation 中華と天命 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

『日本書紀』は漢文・編年体の全30巻からなる正史として編まれており、王朝が公認の史書を編纂するという中国の制度と様式の受容を前提とする。森博達の音韻分析によれば、巻14-21・24-27(α群)は当時の中国語音に基づく万葉仮名を用いて漢文の誤りが少なく、中国系渡来者による述作とみられる一方、巻1-13・22-23・28-29(β群)には和習が集中する。ただし輸入されたのは形式と制度であって、徳を失えば天命が移るという王朝交替の原理は採用されず、皇統の連続という別の正統性原理に置き換えられた。この原理の対立自体はREL-0014が記録しており、本エッジは様式と編纂制度の移入という別の水準を記録する。

成立:7世紀後半-720年 / 根拠:森博達『日本書紀の謎を解く 述作者は誰か』(中公新書、1999年); 『続日本紀』養老4年5月条

対立 Opposition 想像の共同体 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

国民の起源を近代における構築の産物として説明する立場と、神代からの連続を自明の前提とする立場は、同じ対象について両立しない説明を与える。日本におけるこの対立は、津田左右吉が神代から仲哀天皇までを史実としての資料的価値をもたないとし、神話を6世紀に皇室支配の正当化のため創作されたものと論じたことに典型的に現れ、1940年の著書4冊の発禁と出版法違反による起訴(1942年に禁錮3か月・執行猶予2年、1944年に時効により免訴)という帰結を招いた。戦後、津田の史料批判の方法と基本結論は史学の定説の基礎となったが、考古学・民俗学の知見を軽視した主観的合理主義であるという批判も残る。本エッジは特定の学説名ではなく、構築主義的な説明と起源の自明視という二つの立場の対抗を記録する。

成立:1913年-現在 / 根拠:津田左右吉『神代史の研究』(1924年)、『古事記及び日本書紀の新研究』(1919年); ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』

派生 Derivation 文字 → 日本の建国神話(記紀と万世一系) 確度B

記紀は、漢字と万葉仮名による表記が定着した段階ではじめて成立した。『古事記』は変体漢文で書かれ、『日本書紀』は漢文編年体をとる。文字化は伝承を固定すると同時に取捨選択をともない、『出雲国風土記』がスサノヲや大穴持命について記紀と大きく異なる像を伝えることは、中央で再編される以前の伝承層が別に存在したことを示す傍証とされる。文字化された本文がどの言語層に属するかは内在的な証拠から検証でき、『古事記』本文にのみ2種類の「モ」の書き分けが残り『日本書紀』『万葉集』では失われている事実がその例である。 なお、成立の経緯を記す『古事記』序文(上表文)の真偽は決着していない。1979年に奈良市で太安万侶の墓誌が出土して実在と没年が確認されたことを重視し、序文の記す経緯(天武の勅、稗田阿礼の誦習、712年献上)を基本的に信頼する立場がある一方、『続日本紀』に古事記撰進の記事がなく『新撰姓氏録』にも稗田阿礼の名がないこと、序文の文体・用語法が本文と乖離することから、序文を9世紀初頭(弘仁期)の後付けとみる序文偽書説も有力である(西條勉、三浦佑之ほか)。他方、本文までを後世の創作とする本文偽書説は、上代特殊仮名遣の証拠と墓誌の出土によりほぼ支持を失っている。本エッジの確度Bはこの未決着を反映する。

成立:7世紀後半-720年 / 根拠:『出雲国風土記』(733年); 橋本進吉(1917年、上代特殊仮名遣の再発見); 三浦佑之(古事記本文の言語層); 西條勉(古事記序文の用語法); 太安万侶墓誌(1979年出土)