FIG-0088 / 人物・神格(Figure) / 渡来の人物
徐福
Xu Fu
確度 A学術的定説
別名:徐巿、じょふく
宮下文書は、その中核部分を秦から渡来した徐福が筆録したものと記す。同文書系の記述では紀元前219年に始皇帝の命で蓬莱山を目指して出発し熊野に上陸、のち富士山麓の阿祖谷小室家基都に至って古代日本の記録を残したとされる。『史記』淮南衡山列伝は徐福が童男童女を率いて船出し平原広沢を得て王となり帰らなかったと記すが、日本渡来については学者の見解は懐疑的である。中国正史に載る渡来伝説上の人物を記録者として据えることで、文書に外部からの保証を与える構成である。
実在性の評価 実在は不明
『史記』淮南衡山列伝は、始皇帝に東方三神山の不老不死の薬を進言し、童男童女3000人と百工を率いて船出し平原広沢を得て王となり帰らなかったと記す。日本渡来については学者の見解は懐疑的で、根拠を欠く虚構とする指摘があり、1982年に江蘇省で徐阜村が「徐福村」と呼ばれていたことが判明した件も村おこしとの見方がある。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。