FIG-0125 / 人物・神格(Figure) / 氏族祖
野見宿禰
Nomi no Sukune
確度 A学術的定説
別名:野見宿祢、土師弩美宿禰、土師臣祖野見宿禰
古事記
登場しない
日本書紀
野見宿禰
日本書紀垂仁紀は、当麻蹴速の力自慢を聞いた天皇が出雲からこの人物を召し、蹴速の脇腹と腰を踏み折って勝たせ、その地を与えたと記す。のちに皇后日葉酢媛の葬に際して殉死に代わる埴輪の制を献策し、土師臣の姓を得て代々天皇の喪葬を掌る土師氏の祖となったとされる。播磨国風土記の揖保郡立野条は、出雲との往還の途中にこの人物が没し、出雲から人が来て墓を築いたと伝え、記紀とは別系統の伝承を残す。新撰姓氏録は天穂日命の14世孫とし、出雲の祭祀系譜と土師氏の職掌を一本に結ぶ。
実在性の評価 実在は否定的
古事記には現れず、日本書紀の垂仁紀のみが事績を記す。埴輪は近藤義郎らの研究により吉備の特殊器台・特殊壺から発達したことが明らかにされ、殉死に代えて考案されたとする日本書紀の起源譚は成り立たない。土師氏が自らの職掌の由来を語る説話として造形された人物とみるのが通説である。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
土師氏の職能の祖として喪葬に関わり、その後裔を称する菅原氏が9世紀に台頭したため、天満宮の由緒のなかで道真の遠祖として語り継がれた。播磨国風土記が伝える立野の墓の地には兵庫県たつの市の野見宿禰神社があり、奈良県桜井市の出雲にも塚が伝えられる。明治期に東京両国へ相撲の関係者が野見宿禰神社を創建して以後は相撲の祖神としての性格が前面に出ており、土師氏の祖・菅原氏の遠祖・相撲の神と、担ぐ側が変わるたびに性格を変えてきた。