FIG-0126 / 人物・神格(Figure) / 氏族祖
天日鷲命
Ame-no-Hiwashi no Mikoto
確度 A学術的定説
別名:天日鷲神、天日鷲翔矢命、麻植神、忌部神
古事記
登場しない
日本書紀
天日鷲
日本書紀の天岩戸の一書に「粟国の忌部の遠祖天日鷲」の作る木綿を用いたと記される神で、古事記には現れない。古語拾遺はこれを天太玉命に従う4柱の神の一つに数え、穀と麻を植えて白和幣を作らせたと記し、さらに天富命がその孫を率いて阿波へ渡り、のち房総へ移って安房郡を開いたと伝える。阿波・安房の忌部が繊維生産と大嘗祭の麁服の貢進を職掌とした由来が、この神の名に集約されている。9世紀の新撰姓氏録もこの系譜を承ける。
実在性の評価 神話的存在
阿波忌部氏の祖神で、歴史的実在は想定されない。807年成立の古語拾遺は中臣氏に対する忌部氏の職掌上の正統を主張する立場から編まれた書であり、この神を天太玉命に従う4神の一つに数える記述も、氏族の由緒の主張として読む必要がある。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
阿波国麻植郡の忌部神社は延喜式神名帳に名神大として載るが中世に所在が失われ、明治初年に美馬郡と麻植郡が本社の地位を争った末、1885年に徳島市の現在地へ鎮座地が定められた。安房の安房神社は天太玉命を祀り、房総への移住を伝える古語拾遺の記述を近代の由緒として掲げる。阿波忌部の後裔とされる三木家が大嘗祭の麁服を調進する慣行は1915年の大正の大嘗祭で復興され、以後の大嘗祭でも続けられている。