FIG-0133 / 人物・神格(Figure) / 豪族・臣
大伴金村
Ōtomo no Kanamura
確度 A学術的定説
別名:大伴之金村連、大伴大連金村、大伴金村連
古事記
大伴之金村連
日本書紀
大伴金村(大伴大連金村)
日本書紀は、仁賢の没後に平群真鳥父子を討って武烈天皇を立て、武烈の没後には越前から男大迹王を迎えて継体天皇として即位させたと記す。継体6年に百済の求めに応じて任那四県の割譲を認めたとされ、のちに欽明朝でその責を物部尾輿に追及されて失脚する。古事記も磐井の乱の記事に物部荒甲之大連とともに大伴之金村連の名を挙げる。王統が断絶しかけた時期に王を選び立てる側の人物として描かれ、大伴氏の権勢の頂点と失墜の双方を体現する。
実在性の評価 実在の可能性あり
古事記と日本書紀がともに磐井の乱の記事に名を挙げ、日本書紀は武烈から欽明にわたる大連としての事績を詳述する。ただし同時代の金石文や外部史料に名は見えず、笹川尚紀は日本書紀の当該記述が大伴氏の家伝に多くを負い、継体即位のころにはまだ大連でなかった可能性を指摘している。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
祀られた形跡は乏しい。任那四県の割譲を認めたとする日本書紀の記事は、近世の史論から近代の対外関係をめぐる議論に至るまで、失政の例としてくり返し引かれてきた。近年はこの記事自体を後代の潤色とみる説もあり、評価は史料の性格をめぐる議論とともに動いている。