FIG-0151 / 人物・神格(Figure) / 渡来の人物
天日槍
Ame no Hiboko
確度 A学術的定説
別名:天之日矛、天日槍命、日桙、アメノヒボコ
古事記
天之日矛
日本書紀
天日槍
古事記は新羅の国主の子とし、阿加流比売を追って渡来して但馬に留まり、神功皇后につながる多遅摩の系譜を開いたと記す。日本書紀は垂仁3年に新羅の王子として七つの神宝を携えて帰化したとし、初め播磨の宍粟邑に泊まって尋問を受けたとする一伝を載せる。これに対し播磨国風土記は帰化の物語をとらず、伊和大神すなわち葦原志許乎命と黒葛を投げ合って土地を占め合う対等の争いの相手として描き、宍禾郡や揖保郡の地名起源をこの争いに結ぶ。中央の史書が渡来と服属の物語に整えた人物を、播磨は在地の大神と互角に土地を分けた神として伝えている。
実在性の評価 実在は不明
古事記応神記・日本書紀垂仁紀・播磨国風土記・筑前国風土記逸文に現れるが記述は相互に食い違い、一人の人物の事績とみる根拠がない。日矛を祭具とする半島系の渡来集団の始祖を人格化した伝承とみるのが通説で、但馬出石の伝承が神功皇后の系譜に組み込まれた過程が論じられている。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
但馬国一宮の出石神社は延喜式神名帳に但馬国出石郡の伊豆志坐神社八座として名神大に列し、伊豆志八前大神とともに天日槍命を祀って、明治期に国幣中社へ列した。渡来した王子が但馬では一宮の祭神として定着する一方、播磨では在地の大神と土地を争う相手として伝えられており、同じ名の存在が国ごとに異なる位置を与えられている。