NAR-0105 / 物語(Narrative) / カテゴリ:国家思想
アテナイの民主政
Athenian Democracy
確度 A学術的定説
発生年代
前508年〜前507年(クレイステネスの改革)〜前322年(マケドニアによる終焉)
発生地域
中核テキスト
(なし)
伝播経路
前508年のクレイステネスによる部族再編を起点に、民会・五百人評議会・民衆法廷と抽選制の官職という制度群としてアッティカに定着し、デロス同盟を通じてエーゲ海の従属諸市にも部分的に移植された。前322年のラミア戦争敗北で制度としては終息し、以後は同時代の批判者(トゥキュディデス、プラトン、アリストテレス)の記述を通じて文献としてのみ伝わった。ルネサンス期以降のギリシア語文献の再発見と18〜19世紀の古典学によって近代に再解釈され、近代の代議制民主主義が自らの古代的起源として引用する対象となった。
現在の信奉者規模
消滅(制度としては前322年に終息しており現存の信奉者はいない。市民権保有者は最盛期のアッティカでおよそ3万人〜6万人と推計され、女性・在留外人・奴隷を含む総人口の一部にとどまる(M.H.ハンセンの推計。史料の性質上、推計値の幅は大きい)。)
対抗物語
(なし)
現代への影響
抽選制、民会、陪審といった具体的制度が、熟議民主主義やくじ引き民主主義(ミニ・パブリックス)の設計論で参照モデルとして再検討されている。他方、市民権が成人男性に限られ奴隷制を前提としていた点は、近代民主主義との連続性を安易に主張することへの主要な留保として繰り返し指摘される。
関連する関係レコード
派生 Derivation アテナイの民主政 → 民主主義 確度B
アテナイの民主政は前322年に制度として途絶えており、近代の代議制民主主義との間に制度上の連続性はない。本エッジが記録するのは、ルネサンス期以降のギリシア語文献の再発見、18世紀の古典教育、19世紀のグロートらの古典学を通じて、途絶した古代の事例が近代の政治構想へ再発見・再解釈された関係である。18世紀の建国者たちはむしろアテナイ型の直接民主政を衆愚政として退けてローマ共和政と代表制を選好しており、近代民主主義がアテナイを自らの起源として名乗るのは19世紀以降の遡及的な系譜づけの側面が強い。したがって単なる連続的継承ではなく、名称と正統性の借用を含む再解釈としての派生として読むこと。確度はB。