FIG-0096 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
安康天皇
Emperor Ankō
確度 B有力だが異説あり
別名:穴穂命、穴穂御子、穴穂天皇
古事記
穴穂命(穴穂御子)
日本書紀
穴穂天皇
允恭天皇の子で、石上穴穂宮に都したと伝えられる。叔父の大草香皇子を讒言により誅してその妻中蒂姫を皇后としたが、連れ子の眉輪王に殺されたと記紀は記す。この事件を契機に弟の大長谷王が競合する皇族を次々に討ち、王位が雄略天皇の系統に絞り込まれる。天皇が臣下ではなく皇族の手で殺されたと記される数少ない記事であり、雄略の即位を導く前段として置かれる。
実在性の評価 実在の可能性あり
宋書倭国伝が462年に安東将軍倭国王に除されたと記す倭王興を安康に当てる説は、済の子で武の兄という関係が記紀の系譜と対応するため比較的支持されるが、坂元義種が指摘するとおり五王の比定はいずれも系譜対応に依る推定である。日本書紀の伝える在位3年という短さと外部史料の年次との整合も論点として残る。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は奈良市宝来の菅原伏見西陵に治定されているが、この地は古墳ではなく方形の土壇であり、中世の城館の跡とみる説がある。幕末から明治の治定作業は記紀の記す陵の所在地名と現地の地形を手がかりに行われたため、古墳でない遺構が陵に当てられる場合があった。祀られた形跡は確認されない。