FIG-0095 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
允恭天皇
Emperor Ingyō
確度 B有力だが異説あり
別名:男浅津間若子宿禰命、雄朝津間稚子宿禰天皇、遠飛鳥宮御宇天皇
古事記
男浅津間若子宿禰命
日本書紀
雄朝津間稚子宿禰天皇
履中・反正の同母弟で、病を理由に固辞したのち群臣に推されて即位し、遠飛鳥宮に都したと伝えられる。氏姓の詐称が横行したため甘樫丘で盟神探湯を行って真偽を正したとする記事は、氏姓秩序の起点を語る説話として置かれる。皇后忍坂大中姫の妹衣通郎姫をめぐる歌物語と、皇太子木梨軽皇子の失脚譚を伴う。倭の五王の済に比定される場合、記紀の伝承と中国史書の記録が接する位置に立つ天皇となる。
実在性の評価 実在の可能性あり
宋書倭国伝が443年と451年に遣使したと記す倭王済を允恭に比定する説は藤間生大・坂元義種らに支持され、五王のうちでは異論が比較的少ないが、比定そのものは記紀の系譜と宋書の記事を突き合わせた推定であって確証はない。古事記の崩年干支甲午を454年とする理解も文献内部の推算にとどまる。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は藤井寺市の市野山古墳が恵我長野北陵に治定されている。天皇自身を祭神とする社は乏しく、記紀の歌物語に登場する衣通姫が紀伊の玉津島神社などで和歌の神として祀られる方が、祭祀としては目につく。