FIG-0098 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇

顕宗天皇

Emperor Kenzō

確度 A学術的定説

別名:袁祁之石巣別命、袁祁王、弘計天皇、来目稚子

古事記
袁祁之石巣別命(袁祁王)
日本書紀
弘計天皇

雄略天皇に父の市辺押磐皇子を殺されたため、兄の億計とともに播磨へ逃れ、身分を隠して仕えていたところを発見されて迎えられたと記紀は伝える。兄に譲られて即位し近飛鳥八釣宮に都して、父の遺骨を求めて陵を営み、雄略の陵を毀とうとして兄に諫められる。播磨国風土記は美嚢郡志深里に兄弟の潜伏と新室の宴での名乗りを記し、記紀と重なる伝承を伝える。履中天皇の孫にあたり、雄略に断たれた系統が王位に復するという筋を担う。

実在性の評価 実在は不明

播磨国風土記の美嚢郡志深里条が針間国での兄弟の潜伏と発見を記し、記紀とは別系統の伝承の存在が確かめられるが、直木孝次郎が論じるようにこれは説話の流布を示すものであって実在の証明ではない。外部史料および金石文に対応する記事はない。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は香芝市の傍丘磐坏丘南陵に治定されている。兵庫県三木市志染町の窟屋には記紀と播磨国風土記が伝える潜伏の地とされる石室があり、現在も伝承地として維持されている。中央の陵墓治定とは別に、地方が説話の舞台として場所を保持し続けた例にあたる。

種別
伝承上の天皇
役割
回復
系譜(親)
市辺押磐皇子
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
古事記