FIG-0100 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇

武烈天皇

Emperor Buretsu

確度 B有力だが異説あり

別名:小長谷若雀命、小泊瀬稚鷦鷯天皇、小長谷若雀天皇

古事記
小長谷若雀命
日本書紀
小泊瀬稚鷦鷯天皇

仁賢天皇の子で泊瀬列城宮に都し、平群真鳥・鮪の父子を討って大伴金村を大連に立てたと日本書紀は記す。同書は続けて妊婦の腹を裂くなどの残虐な行為を列挙し、後嗣なくして没したことをもって皇統の断絶を告げる。一方の古事記は宮と陵と在位年数を記すだけで、暴虐の記事を一切もたない。記と紀のこの記述量の差そのものが、この天皇像が日本書紀の編纂意図のもとで形づくられた可能性を示す資料となっている。

実在性の評価 実在は不明

日本書紀が並べる暴虐の記事は、津田左右吉以来、史記殷本紀の紂王像などに倣って継体の即位を正当化するために構成されたとみる説が有力である。水野祐は1954年の三王朝交替説で武烈を中王朝(河内王朝)の最後に置き継体による新王朝の開始とみたが、坂本太郎らは王朝交替そのものに反対しており決着していない。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は香芝市の傍丘磐坏丘北陵に治定されている。祀られた形跡はなく、日本書紀が列挙する暴虐の記事は、近世から近代にかけて君主の徳を説く議論のなかで悪しき例として引かれることが多かった。古事記が同じ記事をもたないことは、この像が日本書紀の編纂の側で形づくられた可能性を示す論拠として現在も論じられている。

種別
伝承上の天皇
役割
断絶
系譜(親)
仁賢天皇
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
古事記