FIG-0101 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王
安閑天皇
Emperor Ankan
確度 B有力だが異説あり
別名:広国押建金日命、広国押武金日天皇、勾大兄皇子
古事記
広国押建金日命
日本書紀
広国押武金日天皇
継体天皇の子で勾金橋宮に都し、皇后春日山田皇女ほかを迎えたが後嗣はなかったと伝えられる。日本書紀は各地に多数の屯倉を設けた記事を治世の中心に置き、犬養部の設置もあわせて記す。古事記は宮と陵と系譜を記すのみで屯倉の記事をもたない。継体から欽明へ至る過渡期にあたり、王権の直轄地が列島各地へ広がる過程を示す位置に立つ。
実在性の評価 実在の可能性あり
安閑紀の屯倉設置記事は所在地を具体的に列挙しており、吉村武彦らは6世紀前半の王権による直轄地経営の実態を反映するとみる。ただし喜田貞吉・林屋辰三郎が唱えた継体・欽明朝内乱説は安閑・宣化朝と欽明朝の並立を想定しており、日本書紀の記す継承順そのものが論点として残る。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は羽曳野市の高屋築山古墳が古市高屋丘陵に治定されている。中世には蔵王権現をこの天皇とする説が行われ、明治の神仏分離に際して各地の蔵王権現社が祭神を安閑天皇と改める例が生じた。記紀が屯倉の設置以外にほとんど事績を記さない天皇が、権現との対応によって全国に祭神として分布することになった。