FIG-0127 / 人物・神格(Figure) / 氏族祖

蘇我石川宿禰

Soga no Ishikawa no Sukune

確度 A学術的定説

別名:蘇賀石河宿禰、石川宿禰、宗我石川

古事記
蘇賀石河宿禰
日本書紀
石川宿禰

古事記孝元天皇段が建内宿禰の子の一人として挙げ、蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣ら7氏の祖と記す。日本書紀は系譜を載せず、応神3年条に百済へ遣わされて辰斯王の非礼を責めた使者の一人として石川宿禰の名を出すにとどまる。9世紀の新撰姓氏録は蘇我氏の後身である石川朝臣を孝元天皇の後裔とし、この系譜を承ける。蘇我氏の由緒を建内宿禰へ接続し、6世紀以降の権勢を古い過去に遡らせる働きをもつ名である。

実在性の評価 実在は不明

古事記が建内宿禰の子として名を挙げ、日本書紀応神3年条に百済への使者として石川宿禰の名が見えるのみで、事績を伝える他の記録はない。武内宿禰を諸氏共通の祖とする系譜そのものが7世紀後半ごろの造形とする説が有力であり、この人物もその一部として位置づけられる。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

大和国高市郡の宗我坐宗我都比古神社が延喜式神名帳に載り、蘇我氏の氏神として宗我都比古神・宗我都比売神を祀る。乙巳の変で本宗が滅んだのち氏の後裔は石川朝臣を称し、新撰姓氏録は石川朝臣を孝元天皇の後裔に置いて建内宿禰への接続を公認の系譜として記録した。逆臣として描かれた氏族が、系譜の上では皇別として位置づけられ続けた点に、この社と姓氏録の記載の意味がある。

種別
氏族祖
役割
始祖
系譜(親)
武内宿禰
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
古事記
登場テキスト
古事記日本書紀