FIG-0128 / 人物・神格(Figure) / 氏族祖
葛城襲津彦
Katsuragi no Sotsuhiko
確度 A学術的定説
別名:葛城長江曾都毘古、葛城之曾都毘古、襲津彦、沙至比跪
古事記
葛城長江曾都毘古
日本書紀
葛城襲津彦
記紀はともに建内宿禰の子とし、葛城臣の祖とする。日本書紀は新羅・加羅への派遣と俘人の移住を伝え、また仁徳天皇の皇后磐之媛の父として、履中・反正・允恭の外祖父の位置に置く。奈良県御所市の南郷遺跡群では5世紀の大規模な導水施設と渡来系の工房跡が確認されており、記紀の伝える葛城氏の勢力と時期が重なる。百済記の沙至比跪との名の近さから、記紀の氏族系譜と朝鮮側の記録が接する数少ない例として論じられてきた。
実在性の評価 実在の可能性あり
日本書紀神功紀が引く百済記に壬午年(382年とみるのが通説)の人物として沙至比跪の名が見え、これを襲津彦に比定する説が有力である。他方、葛城の勢力が自らの由緒として造形した人物とする見方や、朝鮮半島へ渡った葛城の首長層の活動を一人に集約したとする折衷説もあり、定説をみない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
祀られる社は乏しいが、奈良県御所市の室宮山古墳は5世紀前半の大型前方後円墳で、葛城の地の首長墓としてこの人物の墓に擬する説が広く行われてきた。同古墳は陵墓に治定されていないため石室や副葬品の調査が可能で、南郷遺跡群の発掘とあわせて葛城氏の実像をめぐる議論の資料となっている。