FIG-0130 / 人物・神格(Figure) / 氏族祖
紀角宿禰
Ki no Tsuno no Sukune
確度 A学術的定説
別名:木角宿禰、紀角、都奴
古事記
木角宿禰
日本書紀
紀角宿禰
古事記は建内宿禰の子として木角宿禰の名を挙げ、紀臣・都奴臣・坂本臣の祖と記す。日本書紀応神3年条は、百済の辰斯王が礼を失したため羽田矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰とともに派遣され、王を責めて謝罪させたと伝える。紀氏は紀ノ川河口を拠点として朝鮮半島との往来にかかわった氏族であり、その対外活動の由来をこの人物に置く構成になっている。平安期の紀氏家牒もこの系譜を承ける。
実在性の評価 実在は不明
記紀の系譜と応神紀の派遣記事にのみ現れ、外部史料による裏づけはない。紀伊の海上勢力である紀氏の由緒を建内宿禰へ接続する系譜の一部とみられ、武内宿禰系譜そのものを7世紀後半の造形とする説が有力である。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
紀伊国名草郡の日前神宮・國懸神宮は延喜式神名帳に名神大として載り、紀氏が奉斎して明治に官幣大社へ列した。ただし祭神は日前大神・国懸大神であって、紀角宿禰自身を祀る社は知られない。氏族の祭祀の中心が祖の名ではなく神宝と神格の名で立てられている点は、祖を祀ることがそのまま由緒の主張になる場合と対をなす形である。