FIG-0139 / 人物・神格(Figure) / 豪族・臣
蘇我入鹿
Soga no Iruka
確度 A学術的定説
別名:蘇我鞍作、林太郎、林臣鞍作
古事記
登場しない
日本書紀
蘇我入鹿
蝦夷の子で、父から紫冠を授けられて国政を執り、643年に斑鳩宮を攻めて厩戸皇子の子である山背大兄王とその一族を滅ぼしたと日本書紀は記す。645年6月、飛鳥板蓋宮での三韓進調の儀の場で中大兄皇子と中臣鎌足らに殺され、この事件が乙巳の変と呼ばれる。日本書紀はこの人物を王位を狙う臣として描くが、その記述は変によって権力を得た側の朝廷が編んだ正史のものであり、門脇禎二らは蘇我氏の政治的役割を排除された側の視点から見直すことを説いた。記述の内容と、その記述が置かれた位置とを分けて扱う必要がある例である。
実在性の評価 実在が有力
日本書紀と藤氏家伝がともにその専権と殺害を記し、別系統の記録が並行する。山背大兄王の攻撃と斑鳩宮の焼亡については、法隆寺若草伽藍跡から7世紀前半の焼失層が確認されており記事と整合するとみる見方があるが、これを直ちに事件の裏づけとすることには慎重論もある。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
奈良県橿原市小綱町の入鹿神社はこの人物を祭神とし、明治期に祭神の改称を求められた際に氏子が応じなかったと伝えられる。明日香村の飛鳥寺西の五輪塔は入鹿の首塚と呼ばれ、討った側の鎌足を祀る談山神社と対をなす位置に置かれてきた。逆臣として正史に記された人物が、在地では祭祀の対象として残り続けた例である。