FIG-0138 / 人物・神格(Figure) / 豪族・臣
蘇我蝦夷
Soga no Emishi
確度 A学術的定説
別名:蘇我豊浦大臣、毛人、蘇我蝦夷臣
古事記
登場しない
日本書紀
蘇我蝦夷
馬子の子で、推古の没後に舒明を立て、舒明の没後は皇極を立てて大臣を務めた。日本書紀は、祖廟で八佾の舞を用い、自らと入鹿の墓を大陵・小陵と称し、天皇に諮らず紫冠を入鹿に授けたと記して、臣下が天子の礼を犯した事例を並べる。645年の乙巳の変で入鹿が殺された翌日に邸宅へ火を放って自害し、天皇記・国記が焼けたと伝えられる。これらの記述は、変を起こした側の系譜に連なる者が編纂にかかわった正史によるものであり、蘇我氏の描像自体が変の正当化という枠組みのなかにある可能性が指摘されている。
実在性の評価 実在が有力
日本書紀のほか、藤原仲麻呂の編とされる760年ごろの藤氏家伝がこの人物と入鹿の専横を記し、別系統の記録が存在する。奈良県明日香村の甘樫丘東麓遺跡の発掘で7世紀前半の建物跡と焼土層が確認され、日本書紀のいう甘樫丘の邸宅との関連が指摘されているが、居住者の特定には至っていない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
祀られる社はない。邸宅が置かれた甘樫丘の東麓では2005年以降の調査で7世紀前半の建物跡と焼土層が確認され、日本書紀が記す焼亡の記事と重ねて論じられている。