FIG-0165 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族

朝廷別王

Prince Mikadowake

確度 A学術的定説

別名:朝廷別命

古事記
朝廷別王
日本書紀
登場しない

古事記のみが名を挙げる王で、日葉酢媛命らの兄弟にあたり、三河の穂別の祖とされる。丹波道主命の子が東海の氏族の祖に置かれる点は、日子坐王の系譜が畿外の諸勢力を広く取り込む形で構成されていることの一例である。事績はいっさい伝えられない。

実在性の評価 実在は不明

古事記が丹波道主命と丹波之河上之摩須郎女の子、三川之穂別の祖と記すのみで、日本書紀には現れない。三浦到は京丹後市の令和6年度網野銚子山古墳報告書で被葬者をこの人物とする蓋然性を述べるが、丹後王国論の枠組みと記紀系譜を前提に築造年代を突き合わせたものであり、被葬者を直接示す考古資料に基づくものではない。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

門脇禎二が1980年代に提唱した丹後王国論は、弥生から古墳時代の丹後に大和や吉備と並ぶ独立性をもつ地域国家を想定するもので、主著は『丹後王国論序説 日本海域の古代史』(1986年)である。丹波道主命の系譜がどこまで史実を反映するか、方形台状墓の起源を丹後に求められるか、豊受信仰が4世紀後半から5世紀に遡るか、巨大前方後円墳はむしろ大和政権との結びつきによって築造されたのではないかといった批判があり、学説として扱う必要がある。この王国論を前提とした被葬者比定が自治体刊行物に現れることと、学界における承認とは区別される。

種別
皇族・王族
役割
始祖
系譜(親)
丹波道主命
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
古事記
登場テキスト
古事記