FIG-0059 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
仲哀天皇
Emperor Chūai
確度 A学術的定説
別名:帯中日子天皇、足仲彦天皇、帯中津日子命
古事記
帯中日子天皇
日本書紀
足仲彦天皇
ヤマトタケルの子とされ、熊襲討伐のため筑紫に赴く。神が皇后に憑いて新羅を討てと告げるが、これを信じずに琴を弾くのをやめ、まもなく急死する。神託を拒んだ王が斃れ、その死が皇后による渡海の前提となる構図を担う。
実在性の評価 実在は否定的
父をヤマトタケルとする系譜自体が伝説的であり、成務からの継承にも世代上の不整合がある。津田左右吉は神代から仲哀までを史実としての資料的価値を欠くとし、その結論は戦後史学の基礎となった。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
筑前の香椎宮は延喜式神名帳に載らず、神社ではなく香椎廟として朝廷の奉幣を受ける別格の扱いを与えられた。明治に官幣大社に列し、神功皇后とともに祀られる。八幡宮では応神・神功と並んで祭神に加えられる例が多い。
原典に登場する箇所15節
- 中巻 第92節ヤマトタケルの子らとその後
- 中巻 第95節仲哀天皇の后妃と皇子
- 中巻 第96節琴の音が絶える
- 中巻 第103節仲哀天皇と神功皇后の崩御
- 巻第七 第117節信濃の白鹿と胆吹山の神、能褒野の死と白鳥
- 巻第七 第119節成務天皇、国郡の境と造長を定める
- 巻第八 第120節即位と系譜、穴門豊浦宮
- 巻第八 第121節筑紫への行幸と、熊襲を討つ議
- 巻第八 第122節神の託宣と、天皇の不信
- 巻第八 第123節天皇の崩御と、一に云う異伝
- 巻第八 第124節喪を匿し、豊浦宮に殯する
- 巻第九 第125節皇后の系譜と、神の名を問う
- 巻第九 第128節誉田別尊の誕生と、筑紫からの帰還
- 巻第九 第130節誉田別皇子の立太子と、角鹿の笥飯大神
- 巻第十 第134節誉田別尊の即位と、名の由来
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