FIG-0062 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
応神天皇
Emperor Ōjin
確度 B有力だが異説あり
別名:品陀和気命、大鞆和気命、誉田別尊、誉田天皇、胎中天皇、品太天皇、凡牟都和希王
古事記
品陀和気命(大鞆和気命)
日本書紀
誉田別尊(誉田天皇)
母神功皇后の渡海中に胎内にあり、帰還後に筑紫で生まれたと伝えられる。百済からの渡来と技術・文物の受容にかかわる記事が集中し、河内に宮と陵を営む。播磨国風土記には品太天皇の名で巡行の記事が多く見える。応神以前と以後で王権の性格が変わるとみる王朝交替説の分節点に置かれる天皇である。
実在性の評価 実在の可能性あり
井上光貞は応神を確実に実在を確かめられる最初の天皇と位置づけ、水野祐の三王朝交替説では中王朝(河内王朝)の創始者に当たるが、岡田英弘・直木孝次郎は神であって実在の人物ではないとみる。陵に治定される誉田御廟山古墳は5世紀第1四半期の築造とされ、伝承される時期とおおむね合う。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
平安期までに八幡神と同一視され、豊前の宇佐神宮を本源として石清水八幡宮・鶴岡八幡宮など全国に八幡宮が広がった。八幡神は八幡大菩薩と称されて神仏習合の典型をなし、その本地を阿弥陀如来とする説が一般に行われた。明治の神仏分離で石清水では男山の護国寺以下の仏教施設が全廃され、社僧は還俗し、八幡大菩薩の称も公には用いられなくなった。
原典に登場する箇所31節
- 中巻 第95節仲哀天皇の后妃と皇子
- 中巻 第100節喪船の計と忍熊王
- 中巻 第101節名を換える神
- 中巻 第102節待酒の歌
- 中巻 第104節応神天皇の后妃と皇子女
- 中巻 第105節三皇子への分治
- 中巻 第106節宮主矢河枝比売と蟹の歌
- 中巻 第107節髪長比売を子に賜う
- 中巻 第108節吉野の国主の歌
- 中巻 第109節部の設置と池の造営
- 中巻 第110節百済からの馬と書と工人
- 中巻 第111節酒の渡来と酔いの歌
- 中巻 第112節大山守命の反逆と宇治の渡り
- 中巻 第117節若野毛二俣王の子孫
- 中巻 第118節応神天皇の御年と御陵
- 下巻 第172節子無き天皇と迎えられた王
- 巻第九 第128節誉田別尊の誕生と、筑紫からの帰還
- 巻第九 第129節麛坂王・忍熊王の反と、菟道の戦い
- 巻第九 第130節誉田別皇子の立太子と、角鹿の笥飯大神
- 巻第九 第131節百済との通交と、七枝刀の献上
- 巻第十 第134節誉田別尊の即位と、名の由来
- 巻第十 第135節皇后仲姫と、二十の皇子女
- 巻第十 第136節東の蝦夷と海人、百済の辰斯王
- 巻第十 第137節近江への行幸と、武内宿禰の探湯
- 巻第十 第138節日向の髪長媛と、大鷦鷯尊への譲り
- 巻第十 第139節阿直岐と王仁、弓月君の民
- 巻第十 第140節吉野の国樔、阿知使主の渡来、難波と吉備の行幸
- 巻第十 第141節百済と高麗の記事、枯野の船と琴
- 巻第十 第142節呉への遣使と縫工女、菟道稚郎子の立太子
- 巻第十 第143節崩御と、呉の工女の到着
- 巻第十一 第144節菟道稚郎子との譲り合いと、即位
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