FIG-0085 / 人物・神格(Figure) / 神格
ワカヒメ
Wakahime
確度 A学術的定説
別名:ヒルコ、ワカヒルメ、稚日女尊、シタテルヒメ、タカテルヒメ、ニフノカミ
ホツマツタヱは、ツクバのイサ宮で昼に生まれたためヒルコと名づけられ、父母の厄年に当たるため3歳の年にイワクス船で流されたと記す。カナサキ夫妻に拾われて育ち、和歌と八雲琴の名手となり、押草による虫祓いの教えを伝え、アチヒコと結婚してタジカラヲを生む。記紀が捨て子として一行で終える存在に、文化の伝授者としての生涯を与えている。
実在性の評価 創作された存在
記紀のヒルコは葦船で流される第一子として名のみが記され、その後の物語をもたない。成長・和歌・婚姻の物語は18世紀後半に成立したホツマツタヱに属し、稚日女尊や下照姫といった別系統の神名を一人格に統合した造形である。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
蛭子は中世に夷神と同一視され、摂津の西宮神社を本社として全国の恵比須信仰が広がった。稚日女尊は延喜式神名帳に載る摂津の生田神社の祭神であり、紀伊の玉津島神社も和歌の神の一座としてこの名を挙げる。ホツマツタヱが与える和歌の祖という像は、この和歌神としての受容と重なりながら20世紀後半の同書の流布を通じて広まった。