FIG-0110 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王

孝徳天皇

Emperor Kōtoku

確度 A学術的定説

別名:天万豊日天皇、天万豊日尊、軽皇子

古事記
登場しない
日本書紀
天万豊日天皇

皇極天皇の同母弟の軽皇子で、乙巳の変ののち645年に即位し、年号として大化を建てて難波長柄豊碕宮に都したと日本書紀は伝える。改新の詔を発して公地公民・国郡の設置・班田収授・租庸調を定めたとされ、中大兄皇子を皇太子、阿倍内麻呂と蘇我石川麻呂を左右大臣、中臣鎌足を内臣とする体制を敷く。のちに中大兄らが飛鳥へ去り、孤立したまま難波で没する。常陸国風土記は難波長柄豊前大宮に御宇しめしし天皇の世として評の設置を記し、日本書紀とは別系統で改新期の地方編成を伝える。

実在性の評価 実在が有力

1967年に藤原宮跡から出土した木簡により大宝令以前の地方単位が評であったことが確定し、井上光貞らと坂本太郎らのあいだで続いた郡評論争は決着して、日本書紀の改新詔が郡と記す部分は編纂時の潤色と判明した。原秀三郎・門脇禎二らは大化改新そのものの実在を疑ったが、宇治橋断碑が大化2年の紀年を刻むことなどから、大化という年号と孝徳朝の存在自体は認められている。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は太子町の山田上ノ山古墳が大阪磯長陵に治定されている。難波長柄豊碕宮の所在は長く不明であったが、1950年代以降の発掘により大阪市中央区法円坂の前期難波宮跡がこれに比定され、現在は難波宮跡公園として整備されている。宮の位置が発掘によって定まった一方、陵の被葬者を確かめる手段はない。

種別
実在の王・大王
役割
秩序化
系譜(親)
茅渟王
系譜(子)
(記載なし)
配偶
(記載なし)
初出テキスト
日本書紀
登場テキスト
日本書紀風土記