FIG-0119 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族
茅渟王
Prince Chinu
確度 A学術的定説
別名:茅渟皇子、智奴王、知奴王
古事記
登場しない
日本書紀
茅渟王
押坂彦人大兄皇子の子で、吉備姫王を妻とし宝皇女と軽皇子をもうけたと日本書紀は記す。宝皇女は皇極天皇として即位したのち斉明天皇として重祚し、軽皇子は孝徳天皇として即位する。本人の事績は一切伝えられず、系譜上の名としてのみ残る。敏達系の血統を7世紀半ばの2人の天皇へ橋渡しする位置に置かれる人物である。
実在性の評価 実在は不明
日本書紀の系譜記事に名が現れるのみで事績を伝える記録がなく、外部史料・金石文による裏づけを欠く。奈良県香芝市の平野塚穴山古墳をその墓とする説があるが、古墳の年代は7世紀後半とされてこの人物の推定年代と合わず、一致をみない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。