FIG-0114 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王

持統天皇

Empress Jitō

確度 A学術的定説

別名:高天原広野姫天皇、高天原広野姫尊、鸕野讃良皇女、大倭根子天之広野日女尊

古事記
登場しない
日本書紀
高天原広野姫天皇

天智天皇の子で天武天皇の皇后である鸕野讃良皇女、天武の没後に称制を執り690年に即位したと日本書紀は伝える。飛鳥浄御原令の施行、庚寅年籍の作成、694年の藤原京遷都を治世に置き、伊勢神宮の式年遷宮も690年に第1回が行われたとされる。天武が命じた国史編修の事業を引き継いだ側にあたり、日本書紀は持統紀をもって記述を終えるため、この天皇は記紀が語る対象であると同時に記紀を成立させた側にも立つ。697年に孫の軽皇子に譲位し、記紀の伝えるうちで最初の太上天皇となる。

実在性の評価 実在が有力

藤原宮跡の発掘により694年の遷都と条坊をもつ都城の造営が確かめられ、出土した木簡が飛鳥浄御原令下の官制と年次を伝えるため、治世は同時代の一次史料によって裏づけられる。直木孝次郎は諡号の高天原広野姫や天孫降臨神話の構造にアマテラスと持統を重ねる意識を読み取ったが、これは記紀の成立事情をめぐる解釈であって実在の議論ではない。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

天武天皇と同じ野口王墓古墳に合葬されたとされ、続日本紀は702年に没した翌年に飛鳥岡で火葬したと記す。天皇の火葬はこれが最初とされ、『阿不幾乃山陵記』は石槨内に銀の骨蔵器があったと伝えるが、1235年の盗掘で持ち去られたとされる。伊勢神宮の式年遷宮は690年の第1回をこの治世に置き、以後20年ごとの制として現在に至る。

種別
実在の王・大王
役割
秩序化
系譜(親)
天智天皇
系譜(子)
(記載なし)
初出テキスト
日本書紀
登場テキスト
日本書紀