FIG-0111 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王
天智天皇
Emperor Tenji
確度 A学術的定説
別名:天命開別天皇、天命開別尊、中大兄皇子、葛城皇子
古事記
登場しない
日本書紀
天命開別天皇
舒明天皇と皇極天皇の子の中大兄皇子で、中臣鎌足とともに645年に蘇我入鹿を討ち、以後長く皇太子として政を執ったと日本書紀は伝える。663年の白村江の敗戦ののち、対馬と筑紫に防人と烽を置き、水城と山城を築いて防衛を固め、667年に近江大津宮へ遷って翌年即位する。庚午年籍の作成と近江令の編纂が治世に置かれる。皇位継承を弟の大海人から子の大友へ移そうとしたことが、没後の壬申の乱の直接の背景となる。
実在性の評価 実在が有力
663年の白村江の敗戦は旧唐書・新唐書および三国史記が同じ年次で伝え、日本書紀の記事と外部史料が一致する。近江大津宮に比定される滋賀県大津市の錦織遺跡の発掘で7世紀後半の大規模な掘立柱建物群が確認され、庚午年籍も大宝令以後の史料に永久保存の戸籍として言及されるため、治世の骨格は複数系統から裏づけられる。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は京都市山科区の御廟野古墳が山科陵に治定され、八角墳であることから治定が考古学的にも支持される例に数えられる。1940年、皇紀2600年の記念事業として大津宮の伝承地に近江神宮が創建され、官幣大社に列した。同社は日本書紀の漏刻の記事にちなんで時計の神とされ、6月10日の時の記念日の行事と、小倉百人一首の巻頭歌にちなむかるたの大会が現在の祭祀の中心をなす。