FIG-0113 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王

天武天皇

Emperor Tenmu

確度 A学術的定説

別名:天渟中原瀛真人天皇、大海人皇子、浄御原天皇、飛鳥清原大宮御大八洲天皇

古事記
登場しない
日本書紀
天渟中原瀛真人天皇

舒明天皇と皇極天皇の子の大海人皇子で、672年の壬申の乱に勝って飛鳥浄御原宮で即位したと日本書紀は伝える。八色の姓を定めて豪族を新たな秩序に編み直し、律令の編纂と国史の編修を命じ、伊勢神宮の式年遷宮の制を整えたとされる。681年に帝紀および上古の諸事を記定させたのがこの天皇であり、古事記は本文の系譜を推古で終えながら序文にその勅語を伝えるため、記紀が語る登場人物であると同時に記紀を成立させた側にも立つ二重の位置にある。日本書紀は歴代のなかで最も厚い記述量をこの天皇に配する。

実在性の評価 実在が有力

奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した木簡群に天皇の語を記すものがあり、天武朝の遺構に伴うことからこの称号の使用がこの時期にさかのぼると考えられている。日本書紀が天武に2巻を与えるほか、続日本紀・万葉集・懐風藻が事績と作歌を伝え、飛鳥浄御原宮に比定される飛鳥京跡の発掘所見とも整合する。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は明日香村の野口王墓古墳が檜隈大内陵に治定され、持統天皇との合葬陵とされる。1235年の盗掘の記録である『阿不幾乃山陵記』が石槨内の棺と骨蔵器の様子を伝えており、この記録によって被葬者が確かめられる点で、歴代の陵墓のうち治定の確からしさが最も高い例に挙げられる。八角墳である点も記述と整合する。

種別
実在の王・大王
役割
創造
系譜(親)
舒明天皇皇極天皇
系譜(子)
(記載なし)
初出テキスト
古事記
登場テキスト
古事記日本書紀