FIG-0135 / 人物・神格(Figure) / 豪族・臣
蘇我稲目
Soga no Iname
確度 A学術的定説
別名:宗賀之稲目宿禰大臣、蘇我稲目宿禰、稲目宿禰大臣
古事記
宗賀之稲目宿禰大臣
日本書紀
蘇我稲目宿禰
欽明朝の大臣で、娘の堅塩媛・小姉君を欽明天皇に入れ、用明・崇峻・推古をはじめ以後の天皇の多くがその外孫にあたる。日本書紀は、百済から伝えられた仏像の受容を問われて崇仏を主張し、排仏を説く物部尾輿・中臣鎌子と対立したと記し、私邸の向原の家を寺としたと伝える。屯倉の設置と王権の財政運営にかかわる記事も多く、外戚としての地位と実務によって蘇我氏の権勢の基礎を築く位置に置かれる。古事記も宗賀之稲目宿禰大臣の名で妃の父として記す。
実在性の評価 実在が有力
日本書紀のほか、元興寺伽藍縁起并流記資財帳と上宮聖徳法王帝説がこの人物の名で仏像の受容と向原の家を寺としたことを記し、記紀とは系統の異なる寺院側の記録が並行する。奈良県高市郡明日香村の豊浦寺(向原寺)跡の発掘でも6世紀後半にさかのぼる遺構が確認されている。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
祀られる社はない。私邸の向原の家を寺としたという日本書紀の記事について、明日香村豊浦の向原寺と豊浦寺跡がその地と伝えられ、発掘によって7世紀の寺院遺構が確認されている。同村の都塚古墳は2014年の調査で階段状の方墳と判明し、規模と年代からこの人物の墓に擬する説が出されている。