FIG-0136 / 人物・神格(Figure) / 豪族・臣
蘇我馬子
Soga no Umako
確度 A学術的定説
別名:嶋大臣、蘇我馬子宿禰、豊浦大臣
古事記
登場しない
日本書紀
蘇我馬子宿禰
稲目の子で、敏達から推古までの4代にわたり大臣を務めた。日本書紀は、587年に物部守屋を滅ぼし、592年には東漢直駒に崇峻天皇を殺させ、推古を立てて厩戸皇子とともに政務にあたったと記す。飛鳥寺の造営、冠位十二階と憲法十七条、天皇記・国記の編纂がその治世に置かれる。臣下が天皇を殺した事実を正史がそのまま載せている点は、のちの蘇我氏の描かれ方を考えるうえでの手がかりとなる。
実在性の評価 実在が有力
元興寺伽藍縁起并流記資財帳と上宮聖徳法王帝説が日本書紀とは別系統でこの人物の事績を伝え、飛鳥寺(法興寺)跡の発掘により6世紀末から7世紀初頭の造営と塔心礎の埋納品が確認されて造営記事と時期が合う。奈良県明日香村の石舞台古墳を日本書紀のいう桃原墓に比定する説も広く支持されている。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
祀られる社はない。明日香村の石舞台古墳は日本書紀が記す桃原墓に当てる説が有力で、1933年と1935年の京都帝国大学による発掘で巨大な横穴式石室と削平された墳丘が確認された。陵墓に治定されていないために調査が可能であった点が、天皇陵の場合との違いを示している。