FIG-0164 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族
日葉酢媛命
Hibasuhime no Mikoto
確度 A学術的定説
別名:比婆須比売命、氷羽州比売命、日葉洲媛命、日葉酢根命
古事記
比婆須比売命
日本書紀
日葉酢媛命
日本書紀は、前の皇后である狭穂姫命の没後、垂仁天皇15年に丹波から妹たちとともに後宮に迎えられ、同年に皇后に立てられたと記す。生んだ子に景行天皇と倭姫命があり、丹波の女性が皇統と伊勢祭祀の双方の起点に置かれる。日本書紀はその葬儀に際し、野見宿禰の進言によって殉死に代えて埴輪を立てたとする埴輪起源説話を載せる。記紀の丹波記事のうち、討伐譚と併存する婚姻譚の中心にあたる人物である。
実在性の評価 実在は不明
記紀はともに丹波道主命の女で垂仁天皇の皇后、景行天皇の母と記す。丹後には弥生後期から大規模な墳丘墓と玉作工房が存在し、大陸との交易を持つ勢力があったことが確認されるが、記紀の個々の人物と遺跡を結びつける手段はない。婚姻譚に登場する女性のいずれについても、対応する墳墓や遺物は特定されていない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は奈良市の佐紀陵山古墳に治定されている。幕末から明治にかけての陵墓治定による決定であり、考古学的な被葬者推定とは別の手続きである。