FIG-0171 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族
竹野比売
Takanohime
確度 A学術的定説
別名:丹波竹野媛、竹野媛(開化天皇妃)
古事記
竹野比売
日本書紀
竹野媛
記紀が開化天皇の妃として挙げる丹波の女性で、比古由牟須美命の母とされる。丹波の大県主という在地の首長の娘が王権に入る最初の例として記され、垂仁・景行朝に繰り返される丹波系后妃の記事はこの形の反復にあたる。日本書紀が垂仁天皇の妃として記す丹波道主命の女の竹野媛は同名の別人であり、そちらは容姿を理由に本国へ返されたと記される。
実在性の評価 実在は不明
記紀はともに旦波之大県主由碁理の女で開化天皇の妃と記すのみである。丹後には弥生後期から大規模な墳丘墓と玉作工房が存在し、大陸との交易を持つ勢力があったことが確認されるが、記紀の個々の人物と遺跡を結びつける手段はない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
丹後国竹野郡の竹野神社(京都府京丹後市丹後町宮)は延喜式神名帳に大社として記載され、郡内で唯一の大社にあたる。社名の由来を竹野媛の名に求める説があるが、社伝と記紀の記述を結ぶ史料上の根拠はない。