FIG-0105 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王
用明天皇
Emperor Yōmei
確度 A学術的定説
別名:橘豊日命、橘豊日天皇、池辺皇子、大兄皇子
古事記
橘豊日命
日本書紀
橘豊日天皇
欽明天皇と蘇我稲目の娘堅塩媛の子で、池辺双槻宮に都したと伝えられる。日本書紀は仏法を信じ神道を尊んだと記し、在位2年で病に倒れると仏教への帰依を群臣に諮り、物部守屋の反対のなかで受戒を望んだまま没する。厩戸皇子の父であり、蘇我氏の血を引く最初の天皇にあたる。その没後の後継争いが蘇我氏と物部氏の武力衝突に至り、王権をめぐる勢力配置が組み替えられる。
実在性の評価 実在が有力
天寿国繡帳銘に「多至波奈等已比乃弥己等」すなわち橘豊日尊の名が見え、法隆寺金堂薬師如来像光背銘も「池辺大宮治天下天皇」の名で用明に触れるため、近接時期の資料が実在を裏づける。ただし薬師像光背銘の607年という紀年については福山敏男らが後代の作成とみており、資料の年代評価は分かれている。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は太子町の春日向山古墳が河内磯長原陵に治定されている。方墳であり、前方後円墳から方墳へ移る時期の王墓とみられて、治定と考古学的な年代観がおおむね整合する例に数えられる。厩戸皇子の父として、叡福寺を中心とする太子信仰の由緒のなかで言及されてきた。