FIG-0103 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王

欽明天皇

Emperor Kinmei

確度 A学術的定説

別名:天国押波流岐広庭命、天国排開広庭天皇、志帰嶋天皇、斯帰斯麻天皇

古事記
天国押波流岐広庭命
日本書紀
天国排開広庭天皇

継体天皇の子で磯城島金刺宮に都し、皇后石姫のほか蘇我稲目の娘堅塩媛・小姉君を妃として、以後の天皇の多くがその子孫となる。百済の聖明王からの仏像と経論の伝来を受け、崇仏を主張する蘇我稲目と排仏を説く物部尾輿の対立が始まったと日本書紀は記す。562年に新羅によって任那が滅んだことを、治世の大きな失点として記録する。仏教という外来の体系が皇統の物語に入り込む起点に置かれる天皇である。

実在性の評価 実在が有力

日本書紀の欽明紀は百済系の史書である百済本記を引いて年次を記しており、坂本太郎はこの引用によって6世紀中葉の紀年が他の時代より確かめやすいとみた。仏教公伝の年次は日本書紀が552年とするのに対し、上宮聖徳法王帝説と元興寺伽藍縁起は戊午年すなわち538年とし、現在は538年説をとる研究者が多いものの決着してはいない。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は明日香村の梅山古墳が檜隈坂合陵に治定されている。一方、橿原市の見瀬丸山古墳は奈良県最大の後期古墳で、規模と築造年代からこれを欽明陵とみる説が古くから有力であり、宮内庁は同古墳を畝傍陵墓参考地として管理している。治定と考古学的な比定が並存したまま決着していない代表例である。

種別
実在の王・大王
役割
媒介
系譜(親)
継体天皇
配偶
(記載なし)
初出テキスト
古事記