FIG-0108 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王
舒明天皇
Emperor Jomei
確度 A学術的定説
別名:息長足日広額天皇、息長足日広額尊、田村皇子
古事記
登場しない
日本書紀
息長足日広額天皇
敏達天皇の孫にあたる田村皇子で、推古天皇の没後に山背大兄王との後継争いを経て蘇我蝦夷に推されて即位したと日本書紀は伝える。飛鳥岡本宮、のち田中宮・百済宮に都し、犬上御田鍬を唐に遣わして最初の遣唐使とし、百済大寺と九重塔を建てる。皇后の宝皇女は皇極天皇として、子の中大兄と大海人はそれぞれ天智天皇・天武天皇として即位する。古事記の系譜記事はすでに推古で終わっているため、この天皇以降は日本書紀のみが記す。
実在性の評価 実在が有力
668年の船王後墓誌が「阿須迦宮治天下天皇」と記して舒明の飛鳥岡本宮に対応し、旧唐書東夷伝も貞観年間の倭国の遣使を伝えるため、内外の近接史料が治世を裏づける。百済大寺に比定される奈良県桜井市の吉備池廃寺の発掘で7世紀前半の巨大な塔と金堂の基壇が確認され、日本書紀の造営記事と整合する。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
陵は桜井市の段ノ塚古墳が押坂内陵に治定されている。同古墳は上円下方の八角形の墳丘をもち、以後の天皇陵に共通する八角墳の最初の例とされるため、治定が考古学的にも支持される数少ない事例に数えられる。天皇自身を祭神とする社は乏しい。