FIG-0109 / 人物・神格(Figure) / 実在の王・大王

皇極天皇

Empress Kōgyoku

確度 A学術的定説

別名:斉明天皇、宝皇女、天豊財重日足姫天皇、天豊財重日足姫尊

古事記
登場しない
日本書紀
天豊財重日足姫天皇

舒明天皇の皇后宝皇女で、642年に皇極天皇として即位し、645年の乙巳の変で蘇我入鹿が殺された直後に弟の軽皇子に譲位する。孝徳天皇の没後の655年に飛鳥板蓋宮で重祚し、この2度目の治世が斉明天皇と呼ばれる。斉明朝には阿倍比羅夫の北方遠征、大規模な土木工事、百済救援のための西征が置かれ、661年に筑紫朝倉宮で没する。日本書紀は皇極紀と斉明紀の2巻を立てて同一人物の2度の治世を別々に記しており、記紀が伝える最初の重祚の事例にあたる。

実在性の評価 実在が有力

斉明紀が記す宮の東の山に石を累ねて垣とする工事や運河の掘削の記事は、奈良県明日香村の酒船石遺跡で確認された砂岩の石垣遺構と対応するとみられ、遠山美都男らが記事の具体性を評価している。661年の百済救援のための西征と筑紫朝倉宮での崩御は、三国史記および旧唐書が伝える白村江前後の記事とも年次が合う。

この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。

祭祀と受容

陵は高取町の車木ケンノウ古墳が越智崗上陵に治定されている。一方、明日香村の牽牛子塚古墳は2010年の調査で八角形の墳丘と二室の横口式石槨が確認され、日本書紀が記す斉明天皇と間人皇女の合葬に合致するとして被葬者に擬され、隣接する越塚御門古墳を大田皇女の墓とみる説とあわせて広く受け入れられている。牽牛子塚は陵墓に治定されていないために発掘が可能であり、治定と考古学的な比定が離れたまま並存する例となっている。

種別
実在の王・大王
役割
媒介
系譜(親)
茅渟王
系譜(子)
天智天皇天武天皇
初出テキスト
日本書紀
登場テキスト
日本書紀