FIG-0118 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族
押坂彦人大兄皇子
Prince Oshisaka no Hikohito no Ōe
確度 A学術的定説
別名:忍坂日子人太子、押坂彦人皇子、麻呂古皇子、太子彦人皇子、皇祖大兄
古事記
忍坂日子人太子
日本書紀
押坂彦人大兄皇子
敏達天皇と皇后広姫の子で、蘇我氏を外戚としない敏達系の最有力者にあたる。用明の没後の皇位継承では候補に数えられながら即位せず、日本書紀にはわずかな記事しか残らない。子の田村皇子が舒明天皇として即位し、以後の天皇はいずれもこの系統から出る。蘇我氏の血を引く欽明系の諸王に対する別の血統として、7世紀の王位継承の対立軸をなす位置に置かれる。
実在性の評価 実在の可能性あり
日本書紀のほか、古事記の敏達段が忍坂日子人太子の名で同じ系譜を伝え、上宮聖徳法王帝説も敏達の王統を別系統で記す。事績を伝える記事はほとんどなく同時代史料や金石文による確認はないが、以後の天皇がすべてこの系統から出るため、系譜そのものは7世紀の記憶に基づくとみる見方が多い。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
奈良県広陵町に成相墓が治定されている。一方、同町の牧野古墳は6世紀末の大型円墳で横穴式石室と豊富な副葬品をもち、この皇子の墓とみる説が有力に唱えられてきた。牧野古墳は陵墓に治定されていないため発掘調査が行われており、比定の議論が出土資料に基づいて進んだ数少ない例となっている。