NAR-0075 / 物語(Narrative) / カテゴリ:国家思想
大東亜共栄圏
Greater East Asia Co-Prosperity Sphere
確度 B有力だが異説あり
発生年代
1940年(用語の公式使用)/1943年(大東亜会議と大東亜共同宣言)〜1945年
中核テキスト
(なし)
伝播経路
明治期以来の興亜論・汎アジア主義の語彙を基盤に、1930年代の東亜協同体論を経て1940年に国策上の標語として定式化された。占領地の行政、放送、学校教育、日本語普及政策を通じて東南アジア・中国占領地域へ広められ、現地の独立運動の一部はこの枠組みを戦術的に利用した。1945年の日本の敗戦とともに国家政策としては終焉した。
現在の信奉者規模
消滅(国策上の地域秩序構想であり、帰属人口を測る統計は存在しない。欧米の植民地支配からの解放を掲げる自己記述と、占領地での資源動員・軍政の実態との落差が、日本国内外の歴史研究における中心的な論点となっている。)
現代への影響
東アジアの歴史認識をめぐる国家間の論争、戦後補償と記憶の政治の直接の前提となっている。地域統合構想を論じる際に、対等性の担保をどう設計するかという問いの否定的参照例として言及されることが多い。
関連する関係レコード
派生 Derivation 日本の建国神話(記紀と万世一系) → 大東亜共栄圏 確度B
記紀に由来する八紘一宇の語が地域秩序の標語として再解釈され、天皇を中心とする統治の物語が対外的な指導性の主張へ拡張された。国内の建国叙述が対外構想へ転用された派生である。
欧米列強の植民地支配からの解放を掲げることで自己を正当化した点で、既存の帝国秩序に対する対抗の物語として定式化された。他方で占領地における資源動員と軍政は帝国的統治の形式を反復しており、この落差が歴史研究の主要な論点である。