FIG-0161 / 人物・神格(Figure) / 皇族・王族
日子坐王
Prince Hikoimasu
確度 A学術的定説
別名:彦坐王、日子坐命、彦坐命
古事記
日子坐王
日本書紀
彦坐王
古事記は開化天皇の子、崇神天皇の異母弟とし、4人の妻との間に多くの子をもうけたと記す。崇神天皇段では旦波国に遣わされて玖賀耳之御笠を殺し、一方でその子とされる丹波道主命の娘たちが垂仁天皇の后妃となるため、討伐譚と婚姻譚の双方に位置することになる。後裔とされる氏族は近淡海之安直・葛野之別・若狭之耳別・三川之穂別・日下部連など近江・山城・丹波・但馬・北陸に広がり、山代之大筒木真若王の系統は息長宿禰王を経て神功皇后につながる。一人の人物の事績としてよりも、日本海側と近江の在地勢力を大和王権の血に接続する系譜上の結節点として読む見方が提出されている。
実在性の評価 実在は不明
古事記は開化天皇と丸邇臣の祖日子国意祁都命の妹意祁都比売命との子とし、崇神天皇段で旦波国に遣わされて玖賀耳之御笠を殺したと記すが、日本書紀本文にこの人物の事績の記載はない。丹後には弥生後期から大規模な墳丘墓と玉作工房が存在し、大陸との交易を持つ勢力があったことが確認されるが、記紀の個々の人物と遺跡を結びつける手段はない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
丹後国風土記残欠は、崇神天皇の時に青葉山中にいた陸耳御笠・匹女を日子坐王が勅命によって討ったと伝え、福知山市大江町の河守・有路、大江山、由良、楯原などを伝承地とする。同書は中世から近世にかけての成立とみる説があり、成立年代と真正性が問題視される文献である。